「ニホンノカタチ」的イノベーター編の3人目は歌舞伎役者の中村橋吾さん。
歌舞伎界に身を置いて20年を超える彼とは、東京都のコロナ禍企画「アートにエールを!」での映像作品を創るプロジェクトチームで初めてご一緒しました。
今回は歌舞伎役者ならではの隈取(くまどり)の化粧工程を撮影させていただきながら、役者としての哲学やこれからの活動についてお話を伺いました。
歌舞伎界は全て世襲制だと思っていたのですが、現在役者300名のうち半分以上が外部からの役者さんだと聞いて驚きました。橋吾さんもそのうちの一人。
生まれ育ちは山形県鶴岡市。酒井忠勝が領主を務めた庄内藩の鶴岡城を中心に栄えた城下町は、文化度の高い独特な風土を持ちます。そんな環境で育った橋吾さんは、幼少期、骨折のリハビリのために日本舞踊をかじったことはあったそうですが、その後はずっと剣道一筋、歌舞伎といえば校外授業で一度観たことがあった程度でした。
メイク前の中村橋吾さん
子供の頃の憧れは志村けんさん。周囲をアッと驚かせたり笑わせたりするのが大好きだった橋吾さんは、東京に行きたいという気持ちを募らせた高校時代に、ふと目についた歌舞伎役者養成所の研修生募集の記事に心ときめかせ、応募を決意。その後書類審査、面接を見事に通過して、18歳で晴れて養成所の研修生となりました。歌舞伎をやりたかったというよりも東京に行きたかった思いがそんな形で実現するのも不思議ですね。
2年の研修期間を終えて養成所を卒業、本名で1年舞台に立った後、2001年に当時三代目中村橋之助(現在の八代目中村芝翫) に入門、成駒屋の役者として「中村橋吾」の名前を頂戴したそうです。
体が大きい(本人曰く「戦士体型(笑)」)ので、女形より立役(男役)が多い中、どんな役でも演じることが楽しくて仕方がない日々、長年、精一杯舞台と向き合ってきました。
ところがコロナをきっかけに舞台がすっかり止まった3年前、初めて役者としての自分を振り返る時間を得たと言います。そこで、師匠のご縁から始まった子供たちに文化を体験してもらうワークショップ活動を通して、役者としての使命に気づいたと言います。
そんな折に私と橋吾さんが出会ったきっかけとなった映像作品の話が舞い込んできたわけです。橋吾さんのアイディアを基に、歌舞伎脚本家と共にコロナ禍のやりきれない思いを現したストーリーが作られ、荒事を演ずる歌舞伎役者とフレアーバーテンダーのコラボレーションという意外な組み合わせの映像作品が完成したのでした。
その時の作品はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=j9U-cpuC55A
コロナ禍で作成した動画作品(私yOUが撮影です)
コロナをきっかけに社会問題を扱った演目を創って演じるようになった橋吾さんは、その後も平和を願う演目に取り組み、各所で注目されました。今後は環境問題に取り組んでみたいとか。全ては敷居が高いと思われがちな歌舞伎を、より身近に感じてもらうための活動でもあるようです。
歌舞伎の荒事における口伝で「童(わらべ)の心を持って演ずるべし」という言葉があるそうです。大人になるにつれて知識や知恵を持って判断してしまうことが多い中、橋吾さんはその口伝を大切にしているそう。
「世の中に夢を与えられる舞台に、純真な気持ちで向きあっていきたい」と語ってくれました。
社会問題を題材にした「平和成祈鐘(へいわになれやいのるはこのかね)」
来月後編は化粧(隈取)や化粧道具にフォーカスします。お楽しみに。
プロフィール
歌舞伎役者 中村橋吾(なかむらはしご)
屋号 成駒屋
山形県鶴岡市生まれ。一般家庭から歌舞伎の世界に入り、歌舞伎座を中心に第一線で活躍。平成中村座ニューヨーク公演をはじめ、海外公演にも多数参加。テレビCMや様々なメディア、動画媒体への出演や、子供から大人まで楽しめる歌舞伎ワークショップの講師等、舞台以外の分野でも多方面で活躍している。