江戸川乱歩作「パノラマ島奇談」の舞台とは?
以前、三島由紀夫作「潮騒」の舞台・鳥羽市の神島について記しましたが、
今回の主人公は、同じく鳥羽にゆかりのある江戸川乱歩です。
江戸川乱歩こと、本名・平井太郎は明治27(1894)年、三重県の現在でいう名張市で生まれました。父親の転勤に伴い、亀山市(現)、名古屋市へと移り、大正5(1916)年に早稲田大学を卒業しました。
翌年、鳥羽市内にある造船所で仕事を得て、この地へやって来ます。
鳥羽市での生活は1年あまりと短いものでしたが、後年、ここでの生活の影響を色濃く反映させた作品を書いています。
1926年から1927年にかけて「新青年」に連載された「パノラマ島奇談」がそれです。
「同じM県に住んでいる人でも、多くは気づかないでいるかも知れません。
I湾が太平洋へ出ようとするS郡の南部に、ほかの島々から飛び離れて、ちょうど緑色の饅頭をふせたような、直径二里たらずの小島が浮かんでいるのです。」
これが小説の冒頭部分。M県が「三重」県、I湾が「伊勢」湾、S郡が「志摩」郡のこととされています。
鳥羽みなとまち文学館へ
江戸川乱歩と深い交流を持っていた人物が鳥羽にいました。
画家で風俗研究家でもあった岩田準一がその人。乱歩よりも3歳若い、明治30(1900)年生まれの準一は、「おしゃべりで、オッチョコチョイの好人物であったから、ものぐさで、鈍重でむっつり屋の」乱歩とはウマが合ったのだそう。
「鳥羽みなとまち文学館」として一般に開放されている準一の生家に訪れてみました。館長を務めるのは、準一の孫にあたる岩田準子さん。
私が訪れた際、館内を案内してくれました。
通りに面した入口から入るとすぐが、準一の人物紹介のコーナーになっています。乱歩をはじめとした当時の文化人からの書簡も展示されており、準一の幅広い交友関係を垣間見ることができます。
中庭を挟んださらに奥には「乱歩館」が。準一は乱歩の小説の挿絵も描いており、ここでは原画を見ることができます。
館内を一通り見学した後、館長の準子さんが「パノラマ島奇談」について興味深い話を聞かせてくれました。
パノラマ島の舞台は長らく鳥羽湾内に浮かぶミキモト真珠島がそうだと考えられていました。この説は、準一の息子である準子さんの亡父がエッセーで書いたのが初出とされています。
しかし、ミキモト真珠島よりももっとパノラマ島のイメージに近い島があると準子さんは考えています。それが神島です。
「ほかの島々から飛び離れて、ちょうど緑色の饅頭をふせたような」形をしており、「T駅から用意のモーター船にのり、荒波をけってまた一時間も行」ったところにパノラマ島があります。
神島もまた、坂手島・菅島・答志島といった鳥羽湾に浮かぶ島から離れた場所にあり、観光船で40〜50分ほどの距離。本土から橋で渡ることができるミキモト真珠島よりも、パノラマ島のイメージに近いのです。
鳥羽駅正面にある日和山という展望の名所があります。江戸川乱歩も何度も登ったという展望の名所からは、輝く海に浮かぶ島々や、湾を横切る船が白い波を立てて進んでいくのが見えます。
あっけらかんとした健康的風景と、「パノラマ島奇談」のどろりとした世界観は遠くかけ離れていて、ちょっとだけ安心しました。
(取材・執筆 川崎 久子)