今日も古墳日和 by 多田みのり

第7回 姫の想いが託された不思議な名前の断夫山古墳へ。御墳印も忘れずに!(愛知県・名古屋市)

【古墳群プロフィール】
名  称:断夫山古墳(だんぷさんこふん)
古墳の形:前方後円墳
時  代:6世紀初頭
整備状況:国指定史跡で「熱田神宮公園」として整備
展示施設:名古屋市博物館や南山大学人類学博物館などで出土埴輪を展示
U R L:http://www.atsutajingu-park.com/enjoy/danpusan/index.html

前回に引き続き、愛知県名古屋市の古墳をご紹介しましょう。今回は名古屋市中心部の南、草薙神剣を御神体として祀る熱田神宮から徒歩15分ほどのところにある断夫山古墳です。長らく熱田神宮の所有地として管理されていましたが、戦後に名古屋市に仮換地され、現在は愛知県の所有となり「熱田神宮公園」として整備されています。

まわりをウォーキングしたり、古墳ビューのベンチで一休みしたりと、
古墳は近隣の方の憩いの場になっていました。前方部西側のコーナーから後円部方向を見ると、
くびれの部分に真ん中に造り出しがあるのが分かります。

全長151mの前方後円墳で、愛知県下最大を誇ります。築造は6世紀初頭で、同時期の古墳としては全国屈指の規模といえます。

1枚目の反対側、前方部東側のコーナーから後円部を見ると、くびれ部がくっきり。
二枚の写真を比べると、西側にのみ造り出しがあるのがよく分かります。

被葬者は尾張南部に勢力を広げた尾張氏の首長と考えられていますが、継体天皇の妃となった尾張連草香(おわりのむらじくさか)の娘の目子媛(めこひめ)とする説もあります。

また、熱田神宮では日本武尊の妃の宮簀媛命(みやずひめのみこと)が、日本武尊の死後に草薙神剣を熱田神宮に祀ったという社伝や、夫の死後は再婚しなかったことから断夫山と名付けられたという由来に基づき、宮簀媛命の墓として祀っています。断夫山という変わった名称にそのような謂れがあるのかと思うと、急にいにしえの神々の想いが身近に感じられますよね。

江戸時代には熱田神宮の神域として立ち入りが禁じられており、
3月3日にだけ墳丘に登ることができました。
頂上から熱田浜を望む物見遊山の庶民の姿が描かれた
『尾張名所図会』の挿絵が看板になっています。

古墳のまわりをぐるりと1周するだけでもその大きさを体感できますが、墳丘に立ち入る場合には、必ず事前に公園管理事務所に声を掛けましょう。大事な古墳を守るためにも無断で入らないように! 古墳ファンが守るべきマナーですね。指示された場所から後円部を登っていき、前方部まで墳丘を散策できます。

墳丘の上はまるで森のようで、鳥の声が近く感じます。
墳丘は三段築成で、一段目には須恵器と1000個を超える円筒埴輪が巡らされていました。

管理事務所の前には大きすぎて全容が掴みにくい前方後円墳の、
1/27のミニチュア模型があります。
後円部より前方部の方がやや高いことや造り出しの形などの詳細を確認できます。

もうひとつ、管理事務所で忘れずに手に入れて欲しいのが御墳印です。天皇陵で授与している御陵印は古墳ファンならお馴染みですが、2020年9月から愛知の三大古墳で御墳印がスタートしました。古墳探訪の記念にぜひいただいてみましょう。

1枚300円の断夫山古墳の御墳印。
他に、前回ご紹介した志段味古墳群の白鳥塚古墳と、犬山市の青塚古墳があります。
古墳の形などが描かれていてカッコイイですね。

★アケスケ・チェック★

公園の周辺にコンビニエンスストアがあるので、古墳ビューのベンチでランチ可能。熱田神宮を参拝して、名物のきしめんを味わうのもオススメです。

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