【古墳群プロフィール】
名 称:志段味古墳群(しだみこふんぐん)
古墳の形:全66基のうち現存する古墳は、前方後円墳2基、帆立貝式古墳5基、円墳21基、方墳1基、墳形不明4基
時 代:4世紀前半〜7世紀末
整備状況:「歴史の里しだみ古墳群」として整備
展示施設:「体感!しだみ古墳群ミュージアム」で発掘された遺物の展示や、埴輪や勾玉作りなどの古代体験ができる
U R L:https://www.rekishinosato.city.nagoya.jp/
今回は東海地方の古墳をご紹介します。東海というと戦国時代のイメージが強いですが、旧石器時代からヒトの営みは続いていて、いろいろな遺跡が見つかっています。名古屋市内には約200基の古墳が確認されており、もっとも古墳が集中しているのが、守山区上志段味にある志段味古墳群です。
手書きイラストの案内板があり、東側の市内最高峰・東谷山山頂から山裾、
そして「体感!しだみ古墳群ミュージアム」や志段味大塚古墳のある大塚・大久手古墳群地区へと、
三層の河岸段丘に古墳が点在している様子が分かります。
東西約1.7キロ、南北約1キロの古墳群は、岐阜県から愛知県に流れる庄内川が濃尾平野に流れ込む位置にあり、河岸段丘上の狭い範囲に分布しています。被葬者はこの庄内川の河川交通を掌握しており、その力を示すために川と陸路が交わる要所に古墳を造りました。自分の治める地域を見下ろせるような場所に古墳を築くことは、古墳時代においては力を誇示する重要な施策だったんですね。埴輪や葺石、副葬品などからヤマト王権と深いつながりがあったと考えられています。
立体の古墳分布図もあり、66基の古墳の多くが、庄内川からよく見える位置に作られていたことが分かります。
山中に人工物が密集している様子は、川を行き交う人たちに存在感を示したことでしょう。
現存するのは33基で、全長100メートルを超える前方後円墳から直径10メートル前後の円墳まで、様々な形と規模の古墳が残っています。時期も4世紀前半から7世紀と長く造られ続けたため、「日本の古墳時代の縮図」が見られることで貴重です。
現在7基が国の史跡に指定されていますが、今回は4世紀前半に築造された白鳥塚古墳と、5世紀後半に作られた志段味大塚古墳をご紹介しましょう。
先に作られた白鳥塚古墳は愛知県下第3位の規模を誇り、県内で最初に作られた大型前方後円墳です。石英で墳丘が飾られ白く輝いていたことから白鳥塚と呼ばれるようになったと言われています。
墳長約115メートルの白鳥塚古墳(手前が後円部で、奥の低い方が前方部)。
後円部に渡土手(陸橋)が設けられたり、墳丘が石英で飾られたりと、
奈良県の大型前方後円墳との共通点が多く見られます。
後円部頂部に敷かれた石英。
大きな古墳ですが、埴輪を並べることがまだ伝わっていなかったため、埴輪は出土していません。
ヤマトタケルを尾張まで運んだ白鳥を葬った墓だから「白鳥塚」と名付けられたとの伝説もあります。
5世紀後半に作られた志段味大塚古墳は、墳長約51メートルの帆立貝式古墳。当時の姿を完全復元してあり、約500本の埴輪の複製品が並んでいます。大正時代に行われた発掘調査で、5世紀後半当時の最新の武器・武具・馬具が見つかっています。
志段味古墳群の顔ともいえる志段味大塚古墳は、
大正時代に東海地方初の学術的な発掘調査が行われた古墳でもあります。
墳頂には大きな丸太の中を刳り抜いて作られた割竹形(わりたけがた)木棺の復元品が展示されています。
この古墳探訪では初登場の帆立貝式古墳ですが、写真のように円墳に小さな方形が付いた形を指します。
さらにこの志段味大塚古墳は、北西側のくびれ部に造り出しがあり、
鶏形埴輪・水鳥形埴輪・須恵器・土製品が置かれていました。
★アケスケ・チェック★
最寄駅のJR中央本線・愛知環状鉄道高蔵寺駅からは徒歩25分ほど掛かりますが、駅前や国道沿いにコンビニエンスストアや飲食店あり。大塚・大久手古墳群地区はベンチなどが配されてきれいに整備されているので、ハイキングにも最適です。