【古墳プロフィール】
名 称:王塚古墳
古墳の形:前方後円墳
時 代:6世紀前半
整備状況:特別史跡として整備
U R L:王塚装飾古墳館
今回は、長年訪ねてみたいと憧れていた古墳をご紹介します。JR博多駅から福北ゆたか線で約30分、JR桂川駅から徒歩6、7分のところに、その古墳はありました。石室内に色彩豊かな文様が描かれた、日本屈指の装飾古墳「王塚古墳」です。
1934年、筑豊地域一帯で盛んに行われていた石炭採掘の農地復旧工事のための採土中に、ツルハシがたまたま石室にあたり、穴が開いたことで発見されました。当時の王塚古墳はちょっとした小山のような姿をしており、発見の2か月も前から採土が行われていたのです。
福岡県による調査が行われた結果、石室の大きさとその全面に描かれた極彩色の壁画が確認され、1937年に国の史跡指定を受け、さらに1952年には国の特別史跡に指定されました。壁画が描かれる古墳で国の特別史跡に指定されているのは、高松塚古墳とキトラ古墳とこの王塚古墳の3基のみです。
案内板を見ると、前方部の半分ほどが失われていることがわかる。
完全に復元すると遠賀川流域最大の規模になるという
戦前戦後の石室崩壊の危機や石炭採掘を迫る炭坑主との対立など、様々な困難をくぐり抜け、1969年になり「装飾古墳保存対策研究会」が発足し、保存に向けての調査研究が行われました。この結果は、1972年に発見された高松塚古墳の保存整備にも役立てられたことで知られています。
その後、地元の有志や考古学者などによる保存会や調査委員会が設立され、1987年には保存整備工事に着手、1990年に墳丘復元が完成しました。発見から約半世紀、よくぞ残してくださった! と関係者の尽力に胸が熱くなります。
さてその石室ですが、年に2回特別公開され、保存施設に入りガラス越しに見学することができます。それ以外の時は、古墳に隣接して建てられた「王塚装飾古墳館」に復元模型があり、いつでも鮮やかな壁画を目の前で見ることができます。
王塚装飾古墳館では、古墳時代の暮らしや北部九州の装飾古墳の分布、
整備保存の記録、出土遺物などを、実物やレプリカ、パネルで解説している
想像以上に奥行きがあり複雑な構造の石室は、前室と後室に分かれており、赤・黄・緑・黒・白・灰の顔料で様々な文様が描かれています。
文様は、「人は死ぬと来世への長い旅に出る」という当時の死生観を表す馬や靫、盾、大刀などの乗り物と武器・武具と、死者を悪い霊から守るための呪術的な意味を持つ蕨手文や双脚輪状文、三角文、同心円文などの幾何学文様があり、被葬者の魂の安寧を願う想いが濃密に伝わってきます。
正面には2体用の石枕がある石屋形、その前には両側に灯明台と考えられる板石がある
(写真は復元模型)。
側壁には靫や盾がみっしりと描かれている。両脇にも石枕がひとつずつ置かれているが、
人骨は出土していない(写真は復元模型)。
石屋形の上に設けられた石棚から天井は、
星を現したと思われる無数の珠文が描かれている(写真は復元模型)。
古墳時代の人々がどんな生活を送り、死と生をどのように考えていたのか、装飾古墳はその一端を語ってくれるようです。
★古墳日和ポイント★
福岡県と熊本県には装飾古墳の約7割が集中しており、装飾古墳の中心地。素晴らしい壁画が見られる古墳が数多くあります。特別公開期間は限られていますが、復元模型が見られる展示施設もありますので、ぜひ皆さんも装飾古墳探訪に出かけてみてくださいね。