今日も古墳日和 by 多田みのり

第20回 田園調布の住宅街にも古墳がある!都内屈指の大きさを誇る宝萊山古墳と亀甲山古墳(東京都・大田区)

【古墳プロフィール】
名  称:宝萊山古墳(ほうらいさんこふん)、亀甲山古墳(かめのこやまこふん)
古墳の形:ともに前方後円墳
時  代:宝萊山古墳は4世紀前半、亀甲山古墳4世紀後半
整備状況:宝萊山古墳は都指定史跡、亀甲山古墳は国指定史跡として整備
展示施設:「大田区立多摩川台公園」内に古墳展示室がある。
U R L:大田区嶺町・田園調布地区の文化財紹介ページ]
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/minemachi_denenchoufu/index.html

古墳めぐりに最適な季節がやってきました。今回と次回は多摩川左岸の台地上、大田区と世田谷区に広がる荏原台古墳群をご紹介しましょう。全部で約50基ある古墳のうち、大田区側を「田園調布古墳群」、世田谷区側を「野毛古墳群」と呼んでいます。今回は大田区側の「田園調布古墳群」のうち、宝萊山古墳と亀甲山古墳を訪ねました。

基点は東急多摩川線・東横線の多摩川駅。徒歩5分ほどのところに「大田区立多摩川台公園」があります。この公園内に、4世紀〜7世紀に造られた古墳が10基点在しています。古墳めぐりは歩き回ることが多いのですが、この公園だけで10基も見られるとは嬉しい驚きです。園内の一番北側に宝萊山古墳、南側に亀甲山古墳があり、その間に7基の円墳と1基の前方後円墳からなる多摩川台古墳群があります。

公園の入口には「古墳展示室」があり、大田区内の古墳について学べます

4世紀前半に築造された宝萊山古墳は、1934年の宅地造成の際に後円部の3分の2が削平されてしまっていますが、前方部を含め残りは良好で、墳丘を横断するように散策路が付けられています。後円部からは国産四獣鏡、碧玉製石製品、硬玉製勾玉、ガラス製小玉、鉄刀・ヤリ形鉄製品などの副葬品が出土し、さらに1995〜96年に発掘調査が行われた結果、出土遺物と古墳の形から関東でも最古の前方後円墳のひとつとされ、多摩川流域で最初に現れた首長の墓と考えられています。

園路上を歩いて、墳丘に登ることができます。
築造当時の墳丘長は97.5m、前方部幅37m、後円部径52m

宅地造成の際に被葬者を納めた木棺を覆っていた粘土槨が見つかり、
被葬者像を明らかにする出土品が見つかりました

亀甲山古墳は、今日も古墳日和 第16回でご紹介した芝丸山古墳と並んで、東京都を代表する前方後円墳で、多摩川流域で最大の規模を誇ります。前方部と後円部の一部が削平されていますが、築造当時の規模は107.2m、前方部幅49.5m、後円部径66mとされ、宝萊山古墳の次に作られた首長墓と考えられています。

亀甲山古墳は測量調査が行われており、古墳の形から4世紀後半と推定されています

右手が古墳。大きすぎて全容が掴みにくいですが、
写真中央部あたりで「く」の字にくびれているのがわかります

 多摩川台古墳群は小規模な円墳群ですが、
埼玉から運ばれた埴輪や大阪などから運ばれた須恵器が出土し、
遠方との活発な地域間交流が伺えます

★古墳日和ポイント★
周辺には古墳や史跡がいっぱい。「古墳展示室」で歴史おさんぽマップがもらえるので、歴史に親しむ1日を楽しんでみては。大田区の歴史をもっと知りたくなったら、大田区立郷土博物館にも足を運んでみましょう。

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