【古墳プロフィール】
名 称:綿貫観音山古墳(わたぬきかんのんやまこふん)
古墳の形:前方後円墳
時 代:6世紀後半
整備状況:国指定史跡「観音山古墳」として整備
展示施設:徒歩15分ほどのところに群馬県立歴史博物館がある
U R L:観音山古墳:https://www.pref.gunma.jp/03/x4510004.html
群馬県立歴史博物館:https://grekisi.pref.gunma.jp/
梅雨の合間を縫って、今回は群馬の古墳を訪ねてきました。群馬といえば古墳王国! 県内には1万3000基以上の古墳があります。この連載の第3回でも群馬県高崎市の保渡田古墳群をご紹介しましたが、今回は出土遺物が昨年国宝に指定されたことでも話題の綿貫観音山古墳をご紹介します。
2段築成であることがよくわかる墳丘は全長97mあり、後円部径61m、前方部幅63.1m、
高さは後円部で9.4mを測ります。葺石は無く、周囲には盾形の周濠が二重にめぐっています。
後円部二段目には横穴式石室があり、中に入ることができます(※)。石室の全長は12.6mあり、玄室(げんしつ=棺を収める部屋)は全長8.2m、幅3.8mもあり、国内でも最大級の広さを誇り、大人が立てる高さもあります。
※2021年7月現在、新型コロナウィルス感染拡大防止のため石室見学は休止しています。
手前の羨道(せんどう)は河原石を用いていますが、
ライトアップされた奥の玄室壁面は角閃石安山岩の切石を積み上げています。
天井石は牛伏砂岩の自然石が用いられ、一番奥の石は22tもあります。
壁面の角閃石安山岩は精巧に加工されており、中には角をL字形に切り込んだものも。
古墳時代にこれほどの技術があったとは驚きです。
墳丘上に登ることもできます。後円部から前方部を望むと、古墳のフォルムもよくわかります。
綿貫観音山古墳の特筆すべきポイントはふたつ。ひとつめは墳丘から見つかった埴輪の数々。巫女や三人童女、正装貴人、挂甲武人、農夫、盾持男子など様々な職種を推測させる形象埴輪が原位置を留めた状態で発見されました。これは古代の儀礼がどのように行われていたかを解き明かすヒントとして全国から注目を集めました。
そしてふたつめが、天井石が崩落していたことで、副葬品が盗掘されずに残っていたこと。この奇跡により、副葬品もまた原位置を保ったまま検出され、何をどのように埋葬したのかを明確に復元することが可能となりました。
弦楽器を爪弾く三人の女子を表した三人童女の埴輪は、全国でも類例のない珍しいもの。
どんなふうに儀礼の雰囲気を作っていたのか、想像が膨らみます。
(国(文化庁保管)/群馬県立歴史博物館提供)
金銅大帯(ベルト)は綿貫観音山古墳のほかには、
奈良県の藤ノ木古墳と群馬県の山王金冠塚古墳でしか見つかっていませんが、
この様な鈴付きの豪華なものは綿貫観音山古墳の一例のみです。
(国(文化庁保管)/群馬県立歴史博物館提供)
出土した埴輪や副葬品は、近くの群馬県立歴史博物館に展示されています。副葬品から被葬者は、大陸や朝鮮半島と深い関わりのあった有力豪族と考えられています。ぜひ立ち寄って、豪華な副葬品と共に眠った被葬者について思いを巡らせてみましょう。
★古墳日和ポイント★
古墳の近隣にはコンビニエンスストアなどはないので、高崎駅周辺で買ってから向かいましょう。ベンチがあるので古墳ビューのピクニックランチが楽しめますよ。