もう何年も前のことですが、立川志の輔の新作落語「大河への道―伊能忠敬物語―」を聞きに行ったことがあります。千葉県香取市佐原の郷土の偉人である伊能忠敬を主役にした大河ドラマを招致しようというコメディタッチの感動作です。
伊能忠敬記念館の裏に立つ伊能忠敬像
伊能忠敬が17歳で婿養子として迎えられ、49歳で息子に家督を譲って江戸に出るまでの大半を過ごした千葉県の佐原に、「伊能忠敬記念館」があります。館内に展示されているのは、佐原での暮らしぶりがわかるものや測量器具などさまざま。
地元の高校生による、入口正面の伊能忠敬 爪楊枝アートも必見!
写真:©(公社)千葉県観光物産協会/提供 (公社)千葉県観光物産協会)
測量するにあたり、忠敬らは、距離の測定には麻の縄や鉄の鎖、方角の測定には主として杖の先に羅針盤を取り付けたものを使いました。この羅針盤や方位盤などで方角を記録し、星や月の天体観測で距離の読み違いを補正し、正確な測定を行いました。
わんか羅鍼(杖先方位盤):杖先につけた方位磁石盤で、忠敬が最も使用した器具のひとつ。
杖が傾いても方位磁石盤は水平が保てる。国宝(写真:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵)
佐原にいる頃から、書籍を購入するなどして独学で天文学や測量をはじめとしたさまざまな学問を学んでいた忠敬は、江戸に出てから師に付いて本格的に天文暦学を学びます。師匠の高橋至時は31歳という若さ、弟子入りした忠敬はその時50歳。まさに「習うは一生」です。
半円方位盤:遠方の山や島への方角測定に使われた方位盤(写真:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵)
忠敬が全国測量を始めたのは寛政12年(1800)のこと。忠敬55歳! わずかな人数から始めた蝦夷地南岸の第1次測量を皮切りに、以降17年にも及ぶ日本測量の壮大な事業が始まります。第5次以降は江戸幕府直轄の大事業となり、第10次まで続いた日本全国の測量は忠敬71歳まで行なわれました。忠敬ひとりが歩いた距離は3.5万km、測量隊全体では4万kmを超え、これはほぼ地球一周分にも及びます。
中図 東北北部(東日本半部沿海図の一部)文化元(1804)年作 縮尺216,000分の1
右は一部分を拡大したもの。ポイントが細かく書かれている
(写真:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵)
昼間に測量を行ったら、夜は天体観測や当日測量した分の作図をし、夜明けとともに再び測量へ出向く。地上で測量できない場所は揺れる船上から測量を行うこともありました。まだ道らしきものもなかった時代のこととは思えません。この過酷さは、今ならかなりの“ブラック”かもしれませんね(笑)。
記念館の中でも圧巻は、伊能図と観測衛星の2種類の日本図を重ね合わせた、入口すぐの展示です。経度が若干ずれている位で、観測衛星の地図と比べても伊能図は驚くほど正確。まずこの地図で忠敬らの偉業に圧倒されてから館内をまわれば、日本地図を完成させるという並々ならぬ情熱と執念に感じ入ることでしょう。
伊能忠敬記念館 https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/
◇おひとり様ポイント◇
解説が丁寧で読む時間がかかるので、気楽にひとりでゆっくりと訪れるのもよいでしょう。天文や測量に詳しい人と同行すればもっと楽しめます。