“月が出た出た月が出た、三池炭鉱の上に出た”で知られる炭坑節。三池炭鉱は福岡県大牟田市と隣接する熊本県荒尾市に遺構が残っており、「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産に登録されています。
万田坑の第二竪坑櫓
日本の産業革命を支え、近代日本の礎を築く源となったのが石炭でした。荒尾市にある三池炭鉱の万田(まんだ)坑は、官営炭鉱ののち明治22年(1889)に三井組の経営のもと、明治35年(1902)開坑。日本最大規模の2つの竪坑をもち、1900年代前半に採炭は最盛期を迎えました。採掘した石炭は三池港まで専用鉄道・三池鉄道で運ばれ、その敷跡も良好に残されています。じつはこの鉄道は平成9年(1997)の炭鉱閉山後、その一部区間が三井化学専用鉄道として受け継がれていましたが、2020年5月に運行が終了となったのです。
現在、万田坑は第二竪坑・櫓、巻揚機室、倉庫およびポンプ室、安全燈室および浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存され、見学ができます(2021年1月19日から入場制限および1月22日からガイド中止)。
万田坑の跡地を眺めると、まず目に飛び込んでくるのが第二竪坑櫓です。総鋼鉄製、高さが約19mというシンボル的存在です。その機能は滑車に巻鋼(ロープ)をひっかけ、ケージ(昇降用エレベーター)を吊り下げ、人や物を運搬しました。明治41年(1908)に竣工し、英国(スコットランド)製の鋼材が使われていました。坑内作業員はケージに乗って、地下約264mの坑底まで下っていったのです。ケージの巻揚機室も残り、モーターやワイヤロープ、運転台などが保存されています。
今にも炭鉱夫たちが現れそうな雰囲気
レンガ造りの第二竪坑巻揚機室
沈殿池(坑内から排出された水を溜め、不純物を沈殿させる池)の向こうには煙突跡が見えます。大正時代に造られたコンクリート製の2基の土台です。遠景からは、かつての賑わいを想像する楽しみがあります。
池の奥、左に立つ煙突跡
黒いダイヤを生み出した三池炭鉱は明治から昭和の花形産業となりましたが、その一方で過酷な労働や事故・災害という負の側面も持ち合わせていました。危険と隣り合わせで命がけで働いた男たちの姿、煙突から吐き出される煙の勢い、炭鉱とともに暮らした人々の歴史……。近代化もそして戦後の復興も支えた大いなる姿は、今も底知れぬエネルギーを感じさせる遺産です。
世界遺産 三池炭鉱万田坑 https://www.city.arao.lg.jp/q/list/385.html