長崎の軍艦島や鹿児島の旧集成館とともに「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されたのが、この韮山(にらやま)反射炉です。8県11市にまたがる世界遺産ということで、注目度も散乱してしまいがちですが、この韮山反射炉はなんと、国内で唯一実際に大砲を製造した反射炉です。反射炉って? 金属を溶かして大砲などを鋳造する溶解炉で、炉体部と高い煙突から成ります。炉体部は浅いドーム形の天井に熱を反射集中させることで高温を得る構造になっています。耐火煉瓦で組まれた約16mの煙突は空に向かいすくと伸びます。このフォルムが美しい!
この反射炉があるのは伊豆・長岡温泉から車で15分ほどのところ。なぜこんな山の中で大砲を造ることになったのでしょうか。この反射炉を完成させたのは、この地の代官である江川英龍・英敏父子。代々、太郎左衛門を襲名し、英龍は36代目にあたります。英龍はかねてから西洋砲術や海防政策の重要性を認識し、江戸幕府に進言していました。そこに現れたのが、ペリー率いる黒船。慌てふためいた幕府は英龍に反射炉築造を命じます。当初は、ペリーが入港した下田で基礎工事を進めていたのですが、ペリー艦隊の水兵が敷地に侵入する事件が起き、急きょ、この山の中で造られることになったのです。
多忙のために病死した英龍の跡を継ぎ、息子の英敏が安政4年(1857)に完成。先見の明があったひとりの代官による近代化の痕跡なのです。
炉体部の焚口と鋳口 反射炉の仕組みが分かる案内板もあります
日本の近代化は、幕末・明治維新に開国を迫る西欧の圧力に対抗し、一気に進みました。これはイギリスで起こった産業革命を発端とする西欧の近代化とは全く異なる道のりでした。近代化の波は官から民へと広がり、飛躍的な発展を遂げます。そこには在来の技術を応用したり、見よう見まねで技術を習得したりと、日本人が得意とする創意工夫に溢れています。この韮山反射炉も、伊豆特産の伊豆石や天城山の土などを利用するオール静岡産の産業遺産。近くには江川家の屋敷跡・江川邸もありますので、併せて訪ねてみてください。
重要文化財の江川邸。才人、江川英龍の足跡がわかります
伊豆長岡駅から歴史を巡るバス「歴バスのる~ら」あり