2012.3月29日(木)
アンナ・カレーニナ、フラメンコ・フラメンコ、そして
「痛み」について考えてみた。
3月20日に観たバレエ「アンナ・カレーニナ」。
初演のインパクトが忘れられずに、今回は日本人ダンサーで鑑賞。
ストーリーは夫と子どもを捨て、愛に走るアンナの破滅と悲劇。
こういうと、ちょっと陳腐かも。アンナ役は厚木三杏さん、素晴らしかったです。
夫役の山本隆之さん、彼氏役の貝川鐡夫、ふたりともよかった。
でも何かが足りない。外国人ダンサーはその体の大きさから、
ダイナミズムが溢れていました。これは日本人にはちょっと難しい。
身長で20〜30センチ違ったら、その表現力は圧倒的に不利。
でもそこは日本人の繊細さが、全編に流れていて、綺麗。
でも綺麗だけでいいのか?
はっきりいって、痛みが薄かったのでは。痛み。
女が男に走る。今ある幸せを捨てて、走る愛欲。
その裏にある痛み。残念ながらその表現がやはり乏しかったように思いました。
繊細で綺麗過ぎるんです。踊りも、表現も。
3月27日に観た映画「フラメンコ・フラメンコ」。
斬新なバイレ(踊り)、圧倒的な存在感のクラシカルなギター、
バリエーションあるカンテ(歌)。フラメンコって、
文楽と一緒で三位一体。この3つの要素がひとつになってこその、表現。
そして、痛みを表現することが、フラメンコ。
喜びの裏にある痛み、生活苦、報われぬ愛・・・・・・。
まるで演歌の世界、だから日本人はフラメンコが好きなのかも。
触れてほしくない痛み。でもそれを人は表現しようとしている、ずっと。
触れてほしくないけれど、誰かにわかってもらいたい。
そんな心の叫びを踊りは肉体を使って、それを顕著に表す手段。
なんだかそんなことを思いながら見た作品でした。