京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第49回 節分会の必見! 吉田神社の鬼やらい(京都市)

2月3日の節分には全国の寺社仏閣で様々な節分会が行われます。千葉の成田山新勝寺では、大相撲力士や芸能人による「開運豆まき」が行われ毎回TVに流れますし、また豆まきを一般庶民向けに行ったのは浅草寺が最初らしく「江戸名所図鑑」に掲載されるほど有名だったそうです。

京都にも有名な節分会がいくつもあります。八坂神社では上七軒以外の花街の舞妓さんの奉納舞踊と豆まきがありますし、北野天満宮の節分行事では、真東にある上七軒の舞妓さんと狂言の茂山社中による豆まきが行われます。もちろん舞踊と狂言も奉納されます。そのほか節分祭を行う寺社は数えきれないほどあり、蘆山寺の鬼おどりのように鬼が登場する寺社もいくつかあります。

その中でまず思い浮かぶのが吉田神社です。場所は、南北は今出川通と丸太町通、東西は東大路通と北白川通の中央に横たわる、標高102mの吉田山西側斜面一帯が境内です。東山東一条の交差点を東へ約300m行くと京都大学の正門と吉田神社一の鳥居があります。

吉田神社は859年に中級貴族の藤原山蔭が、一族のため奈良の春日大社に分霊してもらって建てたのが始まりですが、子孫に藤原道長が登場したので藤原氏全体の氏神へ、また朝廷の公祭に預かるなど異例の大出世をします。鎌倉時代に入ってからは卜部氏(のちの吉田氏)が神職になります。神道界の風雲児吉田兼倶の働きによって、神道裁許状という全国神社の神職の任命権を天皇のお墨付きで得るまでになり、政治力で日本の神社の頂点に立っていたといっても過言ではありませんでした。しかし明治以降は神道裁許状の特権は剥奪されごく普通の神社になりました。

(二の鳥居をくぐると表参道の坂道で、吉田山の上り口、東大路からここまでと、
山上近くの参道までずらりと露店が並ぶ)

節分祭は2月2日~2月4日の3日間に50万人の参拝客があり、2日と3日の2日間は800軒の露店が並びます。行事の中でも見どころは2日の夜の追儺式(鬼やらい神事)です。

(笙の音の中、本宮前の舞殿に設けられた祭壇で神事が行われる)

詔や供物、お神酒を捧げるなどの神事の後、怒りと悲しみ、苦しみを表す赤青黄の3匹の鬼が登場します。見事な演技と大きな叫び声で回りの参加者を威嚇します。子供は全員泣いています。

(方相氏に立ち向かうがやられる鬼たちと方相氏に付き従う子供たち)

矢を放って鬼を追い払うと、4つの目を持った方相氏と呼ばれる中国の神が矛と盾で叫びながら鬼を追い詰めてゆきます。松明を持った子供を従えた方相氏に、鬼は山上へと追い立てられて終点の鳥居が並んだ竹中稲荷社まで行きます。その間参道にいる人を脅しまくって、子供は阿鼻叫喚地獄です。

本宮前境内では抽選券付厄除福豆が飛ぶように売れていました。もの凄い数の協賛商社が商品を出されていて最高はなんと自動車です!毎年買った人いわく当たったことがないそうな。

(これが抽選券付厄除福豆で、何箇所かで売っている。ずらっと並んだくじ引きの商品)

追儺ノ矢を買うとその矢を持った巫女が神楽演奏で舞ってくれます。次々売れるので巫女も神楽演奏も休む間もありません。

(追儺ノ矢を持って、太鼓や笛の神楽に合わせてくるくると舞う巫女。)

(3日の火炉祭ではこれに火が付く)

3日23時からは、参拝客が持ち寄った古い神札やお守りを巨大な火炉で燃やす火炉祭が行われます。追儺式は何重もの人の輪になるので、出来るだけ早く行くか、参道に出たあたりで待ち構えるかでないと絶対に見られません!

(三匹の鬼たち、一匹ずつ撮影)

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