京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第27回 昭和の山村にタイムトラベル!京都市内にある隠れ里「雲ケ畑」を散策しませんか⁈ 前編(京都市)

鴨川のイメージは土手の遊歩道と、川べりに等間隔に座るカップル、その後ろに張り出した飲食店の川床を三条大橋や四条大橋から見た風景でしょう。うだるような夏の日の午後、三条大橋の上流6㎞の上賀茂へさらに2㎞、柊野堰堤(通称柊野ダム)まで撮影に行きました。堰堤から上流は、掘り込まれてない自然の河原の中を流れる昔の賀茂川の姿が残っていて、何百mか先は渓谷になります。夕刻の中、撮影ポイントを探しながらふらふらと上流へ上流へとバイクを走らせました。

柊野堰堤上流の賀茂川

道端の気温計は30℃を切り、山の冷気を感じながら、もう少しもう少しだけと思って進むと突然目の前に集落が!そこは雲ケ畑(くもがはた)と呼ばれ、京都市北区なのに昭和にタイムスリップしたような、日本人が心の中に思い描いている懐かしい山村風景が広がっていました。

雲ケ畑街道沿いの集落

集落は清流鴨川の源流に近く、川に沿って縦に伸びて、道の山側は石垣を積んでその上に家屋があり、谷側は石段を下りたところに家屋があるので眼前に屋根があるのが特徴です。

街道の山側の家と谷側の家

まるで平家の落人の里のようですが歴史はもっと古く、平安京造営のための木材を供給するために杣人が拓いたのが初めのようです。鮎や薪炭などを朝廷に献上する供御人の活動地であったりと朝廷との結びつきの強い集落でした。第55代文徳(もんとく)天皇の第一皇子でありながら皇位継承から外された悲運の皇子・惟喬(これたか)親王の隠遁出家の地として有名です。

惟喬親王を慰めるために里人が始めたのが雲ケ畑の松上げです。松上げは京都北部~若狭にかけて行われるお盆の火祭りです。運動会の玉入れのように火球を放り投げ入れるのが多いですが、雲ケ畑松上げは、4m四方の櫓にたいまつを文字の形に取付け点火するもので、16歳~35歳の地元住民で構成された若中会が取り仕切りますが、点火する文字は当日まで秘密です。

雲ケ畑の松上げ、上は雲ヶ畑出谷町の「山」、下は雲ヶ畑中畑町の「中」

福蔵院境内で待つ里人の元へ松上げの火を運び焚火を作る

焚火で縁起物のするめを焼き里人へふるまう

出谷町と中畑町の2か所で行われます。コロナ明け3年ぶりに開催されましたので取材してきました。次号は雲ケ畑の宿と食事処を紹介します。

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