京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第21回 高瀬川沿いを歩きながら点在する旧跡を見つけると、動乱の京都が見えてくる⁈(京都市)後編

前編に続き、運河である高瀬川の話です。高瀬川取水口には角倉了以邸跡(現がんこ寿司高瀬川二条苑)があり、その向かいに島津製作所創業記念資料館があります。初代島津源蔵の住まいで1875年から45年間本店として使用された木造二階建ての中に、創業当時の理化学機器や初期のX線装置など文献・資料とともに約1100点収蔵されていますが、現在新型コロナウィルス感染拡大のため臨時休館中です。

島津製作所創業記念資料館

御池通手前の川岸に佐久間象山と大村益次郎遭難の碑があります。吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟らを教育した兵学者・思想家だった佐久間象山は、1864年7月11日ここを馬で通りかかったところ後ろから刺客に切られ絶命しました。5年後同じ場所にあった旅館に逗留していた大村益次郎も刺客に襲われ2か月後に亡くなっています。私は子供の頃に放送されていた大河ドラマ「花神」を欠かさず見ていましたし、司馬遼太郎の小説も読みましたので、大村益次郎には思い入れがあります。

佐久間象山・大村益次郎遭難碑

三条下がるにある瑞泉寺は、豊臣秀吉の甥で謀反の疑いをかけられて自刃に追い込まれた関白豊臣秀次公とその一族の菩提を弔うため、角倉了以が建てた寺院です。三条河原で処刑された一族はそのまま埋葬され塚が建てられたのですが、鴨川の氾濫で荒廃します。了以が高瀬川開削工事を行っていた時に墓石が見つかり、その場所に瑞泉寺を建てました。秀次公の首がおさめられていた「石びつ」を中心に整然と並んだ一族の石塔が静かな境内の奥にあります。

瑞泉寺境内の豊臣秀次公と主従の墓域

三条と四条の中間にあるノスタルジックな元立誠小学校の前に、角倉了以翁顕彰碑があります。この貴重な近代建築である立誠小学校校舎を、保全・再生した複合施設「立誠ガーデンヒューリック京都」が現在オープンしております。

元立誠小学校前に立つ角倉了以翁顕彰碑

賑やかな三条~四条を下がるとぐっと静かになり、江戸時代創業が実感できる登録有形文化財の建物で営業を続ける鳥彌三があります。ここは坂本龍馬も愛した鶏の水炊きが名物です。

坂本龍馬も通った1788年創業の鳥彌三

龍馬の住まいや、殺された近江屋が三条にあったり、歴上の人物の寓居が高瀬川沿いに点在しています。石碑しか残っていませんが、歴史好きには見つけるのも楽しいのではないでしょうか。

唯一残っている一之舟入(船を接岸させるための入江)

古地図によると、四条までの間に一之舟入から九之舟入まであったことが分かります。
一之舟入以外はすべて埋め立てられています。

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