京都を代表する植物は、枝垂れ桜、紅葉した楓、菖蒲、竹林、茶ノ木と数多くありますが、忘れてはならないのが整然とした北山杉林です。北山杉の加工場と倉庫として昭和10年頃に建てられた木造倉庫群を紹介します。
162号線(周山街道)から見る中川の杉林。
下はよく見る北山杉の風景ですが、今は良いポイントがめっきり減りました
国道162号線で高尾を抜け北山杉生産の中心集落である北区中川まで行くと、清滝川に面してノスタルジックかつ奇妙な木造建築が並んでいます。倉庫として使われている物もありますが、大半は放置されています。
一番大きな建物の所有者であり、元京都北山丸太生産協同組合理事長の森下久治さんに話を聞きました。北山杉は室町時代から作り始められ、茶の湯の発展とともに都の茶室など数寄屋に用いられてきました。江戸時代になると京都だけではなく関西一円に広がってゆき、明治に入ると全国的なブームが起こります。需要が追い付かないので、広範囲に植林がなされます。60年後その木が育つと太平洋戦争終戦で、空前の建築需要が起こり建材として飛ぶように出荷されます。落ち着いたころ高級磨き丸太が急増します。丁寧な枝払いなど小まめに手入して育成された林の写真をよく見ると思います。バブル崩壊後は、急激に落ち込み、現在は見る影もありません。
森下元理事長所有の一番大きな木造倉庫、後ろの山に北山杉林が見えます。
下の画像は川上に向かって見る全体像
庇が長く伸びて、いつでも作業ができるようになっている。ここは現役の倉庫として使われています。
倉庫内は撮影させてもらえませんでしたが、美しい丸太がズラッと並んでいました
初秋に伐採し、木造倉庫で加工を施した後、天日乾燥しながら保存し夏前に出荷します。磨きは川砂を使って素手で行い、そのための縦長の池や雨でも干せる長い庇もあります。今では乾燥機ですが、何日か天日に干すと風合いが出るそうです。10m超の丸太を収納するため吹き抜け部屋があります。
倉庫内部、昔は磨き丸太がぎっしり保管されていた。
下は垂木とかに使われる長押丸太や桁丸太を収納するぶち抜きの部屋
丸太を砂で磨くための洗い場の池、作業が冬になるため湯を貯めている所もあった。
使われていた磨き砂は、山に分け入ったところにある菩提の滝で採れたもの
「古都」という川端康成の小説がありますが、ここが舞台です。康成はある日ふらっとやってきて、その後何度も訪れます。家族ぐるみのお付き合いをされた森下さんには、康成の遺品も送られています。山口百恵主演で映画化され、撮影現場にもなりました。
実は天皇陛下が皇太子時代においでになり、森下さんが案内されています。
このまま風化するにはあまりに勿体無い!
木造倉庫においでになった当時大学生だった天皇陛下。案内しているのは40歳代の森下さん(写真提供:森下久治さん)