アメリカの有力紙『ニューヨーク・タイムズ』の旅行欄で発表された「2023年に行くべき52カ所」に盛岡市が選ばれました!ロンドンに次ぐ2カ所目、日本で他に取り上げられたのは19カ所目の福岡市のみですから、素晴らしい快挙です。その選定の理由は、東京から新幹線で行けるという利便性、大正時代や20世紀初頭の和洋折衷の建物が残っていることのほか、混雑がないこともポイントだそう。
都道府県で2番目に大きな面積を持つ岩手県。人口密度が1㎢あたり6000人以上の東京に比べ、岩手県はおよそ80人。そりゃ、混雑していませんよね。人混みの少なさが選定理由に挙げられていることに一抹の寂しさを覚えましたが、東北びいきの私としましては、やっと魅力に気づいてもらえたと素直に喜びたいと思います。
私が初めて盛岡に訪れたのは、ちょうど桜が満開の頃。明治末期建築の岩手銀行赤レンガ館の佇まいや、外灯にぶら下がるフラワーバスケットにヨーロッパの香りを感じたものです(→過去記事はこちら)。その後も何度か盛岡へ足を運び、訪れるたびに好きな場所が増えていきます。
「南昌荘」の名前は、建築当時、屋敷から南昌山が見えたことから名付けられたそう
今回ご紹介する「南昌荘」もその一つ。「みちのくの鉱山王」とも呼ばれた盛岡出身の実業家・瀬川安五郎の邸宅として明治18(1885)年に建てられた木造二階建ての和風建築です。明治41(1908)年には、「平民宰相」と称された原敬が夫妻で1カ月滞在し、翌年には伊藤博文が園遊会を開催するなど、歴史上の人物とのゆかりもあります。
窓際には小さなテーブルと椅子が配され、喫茶も楽しめます
和室に面した廊下から庭園へ出ることができます
時代の移り変わりと共に所有者も代わり、盛岡駅から徒歩20分ほどという好立地のためか、一時は取り壊してマンションにするという計画も持ち上がりました。しかし、これを盛岡市民生協が購入することで、貴重な建物の維持に繋がりました。
フローリングの大広間。終戦直後、屋敷がアメリカ進駐軍の将校や家族の宿舎になったことも
池泉回遊式庭園に臨む大広間は床がピカピカに磨き込まれ、木々の緑が照り映えます。この美しい風景を前に、残してくれてありがとうとしみじみ思うのです。
庭園から望む大広間のある建物。高床式になっているのが見て取れます