接客とアーティストの二刀流で心を伝える!
VOL.12 藤野真司さん 1990年生まれ、32歳 (界 ポロト サービスチーム)
2022年1月にオープンした「界 ポロト」。記事はこちら
うるわしいモール温泉と北海道の大地の恵みを楽しみ、アイヌ文化に触れる施設です。施設でのアクティビティなどを担当する藤野真司さんは、じつはアーティストでもありました。
―――入社の経緯を教えてください。
京都の美術大学で絵画を専攻し、アート系のギャラリーなどで働いていました。2016年、中途採用で入社しました。じつは私は大分県湯布院の出身で、両親が小さな宿を経営していました。宿は自分の生活の場、日常の空間でした。接客業は大変な仕事にもかかわらず、母は本当に楽しそうに働いていました。お客様と接するのが大好きだという母の姿を見てきました。
学生時代はひたすら絵を描いていたのですが、あるとき自分が学んでいた現代アートが空間全体を描くものと解釈したときに、そうであれば宿自体がアートそのものではないか、と思ったのです。様々な土地にある弊社の施設で働きながらアート制作もできたらと思ったのです。
―――北海道での生活はいかがですか。
北海道に来る前は、アトリエ×温泉旅館がコンセプトの「界 仙石原」(神奈川県・箱根町)で働いていました。アートを全面に打ち出す施設ですから、私も離れるつもりはなかったのですが、「界 ポロト」の開業を知り、北海道の大自然のなかで制作してみたいと感じました。また妻のルーツがじつはアイヌにあるということを知り、開業スタッフに手を挙げました。こちらに来て思うのは、北海道の方は皆さんおおらかで、とてもウェルカム。白老は雪も少なく過ごしやすいので、北海道初心者の方におすすめです。家を買いたいくらい気に入っています(笑)
―――施設のアクティビティを手掛けているとうかがいました。
はい、ご当地楽のアクティビティ「イケマと花香の魔除けづくり」を考案しました。アイヌ文化の勉強を始めて、白老以外の二風谷などのアイヌコタン(集落)を訪ね、コタンごとの相違点を知りました。アイヌ文化とひとまとめにすることができない部分もあり、文化を伝える難しさを知りました。魔除けづくりは、白老アイヌ協会の皆さんにご協力いただき、イケマというアイヌの方が大切にする植物を使うヒントをいただきました。魔除けづくりは新しいアイヌ文化のひとつの形だと思っています。今後は、文字をもたない民族であるアイヌが、伝説や神話を口伝えで受け継いできた口承文芸「ユカラ」を習うというのも考えています。
ただ、アイヌ文化を知れば知るほど、その伝え方を考えさせられる部分があります。それは、私たちがついつい過剰に神秘化しがちだということです。例えば、アイヌの人々は木の皮を剝ぐときに東側は剝がずに残します。これは木の神が風邪をひかないようにと伝えられていますが、実際は東側は風を受けて木肌が硬くなっていて、人力では無理があるからです。生活者としての合理性からなのです。また、狩猟や漁を生活の糧として暮らしてきたアイヌ民族が辿ってきた歴史などもぜひ、ウポポイ(民族共生象徴空間)で知っていただきたいと思います。
―――アイヌ文化はご自身の作品作りに影響を与えていますか?
アイヌ民族は森羅万象に神が宿り、すべてのものを敬うという豊かな精神世界を持っています。私のアート作品は光をテーマにしていますが、その世界観を知ってからは自然への目の向け方が変わりました。晴天の光とは異なる曇天の光のなかで、風が吹いて湖の色が変わる、雨が降れば水紋が広がり、雨の神の恵みがある。アイヌ文化に触れて、感性が研ぎ澄まされた、そんな思いです。また、旅とアート、接客の仕事とアートの関りを見出すようになりました。
手掛けるアート作品より(写真提供:藤野さん)
―――仕事とアートに共通性があるのですか?
思いがけない風景や人や食べ物に出会うことが旅の醍醐味ならば、アートも思いがけない刺激から生まれるものです。
私はアートの作り手であり、伝え手であり、受け手でもあります。接客という仕事も、作り手・伝え手・受け手という、共通点があると思っています。お客様に施設の魅力を形にして伝え、お客様からの反応をいただく。そのためには土地の魅力や楽しさを深く知り、マニュアル通りではない表現力を磨き、ひとりひとりのお客様に向けて、心を伝える。たとえば、私が好きな古典落語も、もう何百年も前から知られていてネタバレしている話を、その場の雰囲気を見ながら、まるで今、この場で思いついたように語り、笑いを取ります。私も「界 ポロト」を訪ねてくださった旅好きなお客様を満足させられる接客を常に心がけたいと思っています。
関屋メモ
感性を担う右脳とロジックを担う左脳。藤野さんはそのバランスがいい人なのだと、話をしていて感じました。そうでなければ、創造的なアート作品と合理的な宿の仕事が結びつくなんて、なかなか考えつかない。まさに二刀流の天職かもしれませんね。美大生時代、まわりは個性の爆発のような人ばかりでつらかったと話しますが、個性だけがアートではないという独自の道を見つけられて、きっと今がいちばんいい貌してるのでは?(学生の頃、知らないけれど) また、お母様の働く後ろ姿を見て、素直に育った息子の側面にも拍手です。 今度は実際に手掛けられる作品を拝見したいものです。
取材・文/関屋淳子 撮影/yOU(河崎夕子)