あれは「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録される少し前のこと。
「分とく山」の野崎洋光さんが、外国人料理関係者を対象に、「日本料理とは何か」を伝える講演会に登壇したことがありました。
日本料理人が大切にする食材の「走り・旬・なごり」を説明するのに、野崎さんが用いたのが「二十四節気七十二候」。そもそも四季という概念になじみのない国のオーディエンスもいるわけで、この時の同時通訳者の焦りと苦労といったらもう…。
(ザ・リッツ・カールトン京都 エグゼクティブ イタリアン シェフ 井上勝人さん)
あれからもうすぐ10年。英語では「ジャパニーズ 72 マイクロシーズン」という単語に何となく落ち着き、「日本人はやたらと季節にこだわる人種」と世界のフーディーズから認識されつつある2021年8月、七十二候にまっすぐに取り組むプライベートダイニングがオープンしました。
ザ・リッツ・カールトン京都の「シェフズ・テーブル by Katsuhito Inoue」です。手がけるのはエグゼクティブ イタリアン シェフの井上勝人さん。2019年まで銀座の「ブルガリ イル・リストランテ ルカ・ファンティン」の料理長として活躍していたので、フーディーズなみなさんは、ご存じかもしれませんね。
(日本庭園をイメージしたテーブルセッティング)
(井上さんが信頼する日本各地の生産者から届いた宝物のような食材)
特別な夜の体験は、七十二候からインスピレーションを得た空間から始まりました。包み込まれたのは、日本古来の美意識を細やかに映し出した非現実的な世界。私が伺った日は、二十四節気「寒露」の七十二候「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」で、静かに流れていたのは虫の音。テーブルには紅く色づいたもみじの落ち葉や苔、石などで構成された日本庭園。深まりつつある秋の気配が美しく演出されています。
そこに登場したのは、こちらも季節を反映した日本各地の食材たち。地元・京都の七谷鴨や青レモンをはじめ、丹波の栗や黒枝豆、和歌山の松茸やフィンガーライム、尾鷲のクエ、淡路の玉ねぎなど、つくり手さんたちの顔が思い浮かぶ心のこもった食材が玉手箱のようにぎっしりと詰め込まれていました。
(ホタテやアサリ、ホッキ貝、つぶ貝、しろ貝といった海の恵みをボンゴレ仕立てに)
(手打ちのタリアッテレは柚子釜ならぬ青みかん釜で冷製パスタに)
およそ20年をかけて日本各地を訪れ、生産者との関係をコツコツと紡いできた井上さん。大切な食材で創り上げる料理は、現在の彼が考える理想のかたちです。
(魚は神経〆したものをチョイス。未利用魚も積極的に使っています)
(イチジクの葉(実はデザートに使用)の香りを移した熊本のあか牛)
「日本の豊かな自然の恵みを、そのおいしさの最頂点で味わっていただきたい」と井上さん。時間と手間を惜しまず、一日6名限定の食卓だからこそできるアラミニッツの調理法もたくさん取り入れています。
備長炭でじゅくじゅくと焼かれている天然うなぎから、時折落ちた脂が爆ぜる音。温められた貝から広がる芳醇な海の香り。土鍋から立ち上る温かい湯気。目の前でこねられるフォカッチャのもちもちとやわらかそうな生地。五感のすべてで味わう日本の気候風土。
(食材を丸ごと使い切るため、野菜の皮などその日の端材で風味をつけたフォカッチャ)
この桃源郷を現実のものにするために、たくさんの仲間のちからを借りた、と井上さんは言います。「僕が思い描く世界観をつくってくれたのは、専属庭師の鈴木耕喜(こうき)さん。他にも、同僚の日本料理人から日本料理の技術を教えてもらったり、料理に合う作家物の器を貸してもらったり。ドリンクは、僕の料理をよく知っているソムリエチームを絶対的に信頼しているので、全面的におまかせしています」(井上さん)。
こんな料理人の理想郷を実現した料理人・井上さんって、どんな人なのでしょうか。続きは後編をどうぞ。
ザ・リッツ・カールトン京都 https://chefstable.ritzcarltonkyoto.com/
「シェフズ・テーブル by Katsuhito Inoue」は公式サイトから予約できます