カンボジアのアンコール遺跡をご紹介する第2弾は、アンコール・トムです。
前回ご紹介したアンコール・ワットの北約1.5kmに位置するアンコール・トムは、12世紀末から13世紀初頭にかけて、ジャヤヴァルマン7世によって造営された都です。「大きな街」という意味で、その名の通り、一辺3kmの四角い敷地を高さ8mもある城壁が囲み、さらにその外側には幅130mの環濠がめぐらされています。そして、敷地の中央には、バイヨンと呼ばれる仏教寺院が鎮座しています。
◆アンコール・トム
アンコール朝最盛期の壮大な都城で
クメールの微笑に魅了される
周囲を取り囲む約12kmの城壁には東西南北の4つの大門と王宮につながる「勝利の門」と合わせて5つの城門があります。
私は南大門から入城しました。門の高さは約23m、上部には観世音菩薩の顔が東西南北の四面に刻まれています。
また、環濠に架かる橋には、古代インドの神話・乳海攪拌をモチーフに、阿修羅と神々が蛇神ナーガを綱引きしている様子が表現されています。しかしながら、壊れているところも多く、修復中のところもありました。きれいな顔が見られるところはすでに修復済みのところです。
ジャヤヴァルマン7世はそれまでの王たちがヒンドゥー教を信仰してきたのと異なり、大乗仏教を信仰していました。とはいえ、従来からのクメール的宇宙観は踏襲されています。バイヨンは世界の中心と考えられていた須弥山を模しており、レリーフ(浮き彫り)で埋め尽くされた第一回廊や第二回廊は、アンコール・ワットとたいへんよく似ている印象を受けます。ただ大きく異なるのは、四面に観世音菩薩の顔を彫った像があちこちに見られることでしょう。神秘的なクメールの微笑をたたえた大きな仏顔が立ち並んでいるのには圧倒されます。
バイヨン内には54基の仏塔があるそうです。
四面仏塔に囲まれた中央には、高さ約43mの中央祠堂が配されています。内部では今も仏像が祀られ、人々の信仰の場となっていました。
第一回廊や第二回廊のレリーフもご紹介しましょう。
第一回廊に描かれているのは、チャンパ軍(ベトナム中部沿海地方にあった国)との戦いに向かうクメール軍。象に乗っているのは将軍です。
こちらは中国人。あごひげを生やし、髷を結っている姿は確かにクメール人とは異なっています。
トンレサップ湖での水上戦。魚やワニも生き生きと描かれています。
戦いの他にもいろいろと人々の日常生活が垣間見られます。
闘鶏に興ずる人々(左上)や出産シーン(右上)、投網での漁(左下)、調理の様子(右下)と、さまざまな光景が描かれています。今の農村の生活と大きく変わらないようです。
ジャヤヴァルマン7世の治世下で、国外への支配領も広がり、アンコール朝は最盛期を迎えました。レリーフからは、度重なる国外への遠征があった一方、アンコール地方の人々は穏やかに暮らしていたことが伺えます。
しかし、ジャヤヴァルマン7世の治世が終わると、アンコール朝は急速に衰退に向かいました。そして、これ以降、重要な寺院が造られることはなかったそうです。
次回ももう少しアンコール遺跡にお付き合いください。
■カンボジア・1992年登録・文化遺産
■アンコール
(Angkor)
(文・山本 厚子)