Google mapで偶然見つけた「宇多良(うたら)炭坑跡」の文字。西表島に炭鉱があったなんて、全く知らなかった無知な私…。西表島を流れる浦内川の支流、宇多良川のほとりに昭和10年(1935)から8年ほど稼働していた炭坑跡は、経済産業省の近代化産業遺産のひとつに認定されていました。
浦内川のクルーズ船乗り場の先、鬱蒼と茂る樹々のなか遊歩道を15分ほど進むと、突然現れる得体のしれない構造物! トロッコの支柱やレンガ柱はガジュマルに覆われ、飲み込まれているよう。自然に埋もれていく人工物の姿は長崎の軍艦島を彷彿させます。ここで、炭鉱という産業とそれを支えた人々の暮らしがあったなんて! まったく想像がつかない、信じられない幻のような景色が広がっていました。
鷲掴みにされているようなレンガ柱
西表島の地層には石炭層があることが知られ、明治には石炭の採掘が開始されました。日露戦争から第1次世界大戦にかけての好景気もあり、西表島の石炭は燃料用として重宝されたそうです。宇多良炭坑は、丸三(まるみつ)炭坑により開発されました。ジャングルを切り開いて建設された鉱業所には独身寮や夫婦宿舎、300人が収容できる集会場兼芝居小屋、売店などがあり、ひとつの集落が忽然と姿を現したのです。現地には、かつての全景写真の資料が展示されていますが、現在はレンガの遺構やトロッコの支柱などが残るばかりです。
トロッコの支柱も植物と同化
機械の残骸
炭鉱労働者は島外から集められ、九州の産炭地や台湾北部の産炭地から来た炭鉱夫、また実情を知らないままやってきた人も多かったようです。一帯はマラリアの有病地で、暮らしは厳しく、逃げ出した炭鉱夫は山中でそのまま白骨化したという負の歴史も背負っています。70余年を経て自然に返る廃墟には「萬骨碑」という慰霊碑が立ち、知られざるこの島の歴史を物語っています。
宇多良川はマングローブの宝庫
近代化遺産にはダークツーリズムの側面もあります。悲劇の記憶を追体験することで、今の私たちのポジションを再認識する。そんな旅も重要なのだと思います。