船岡山をご存じでしょうか?京都盆地の西北にある高さ111.7mの山というより丘です。船をひっくり返した形から名前が付いたとされますが、そんなに似ていません。北は北大路通、西は千本通に接しており、周囲は1300m、様々なところに登り口があります。登りといっても5分もあれば頂上まで行けます。
山頂広場から南側の景色
東側から西陣の街越しに見る船岡山
東側の3割ほどを建勲(けんくん 正式名:たけいさお)神社が占め、ここからのルートが一番急峻です。それ以外は、すぐそばにある大徳寺の所有で、京都市が借用管理しています。
建勲神社参道で山頂近くにある社殿に向かう直登登山道
建勲神社拝殿から本殿を見る
船岡山の存在は、京都人なら皆知ってはいますが、北部の住人でも関心は薄いと思います。しかし平安京遷都にとって、なくてはならない大きな意味合いのある山だったのです。
平安京は唐の都・長安(現西安)をモデルに造営されましたが、桓武天皇はそれまでの都がよほど呪われていると思われたのか、中国から輸入された何種類もの守り方で固められています。その一つに陰陽五行思想、風水思想があります。北から来た竜が山を越え、途中で水を飲み、南に抜けていくのが良い土地で、京都盆地がそれにあてはまり、その山が船岡山で水を飲む池が神泉苑とされています。ちなみに京都駅ビルに南北方向に不思議な穴が開いていますが、あれは竜を通すためなのかと思って調べたら、同じことを思っている人がいっぱいいました。
船岡山三角点
そしてもう一つは四神相応の地として、東西南北をそれぞれの神が鎮座して都を守るという信仰で、北の高山には亀と蛇が合わさったような姿の玄武が守り、そこが船岡山だとの説があります。それにしては低すぎるとの説もあります。また大内裏の真北にあるので、都市計画の基準点になったのではとの説もあります。大内裏つまり天皇の住居である大極殿が朱雀大路(現千本通あたり)の北の突き当りにあったのですが、度々の火災でついに再建されず、天皇は住まいを転々とします。これらはすべて仮内裏とされています。現京都御所も足利義満が作った仮内裏、当然現皇居も仮内裏です。
遊歩道としても趣のある西側の登山道
その後船岡山は貴族たちのリゾートになってゆきます。清少納言が枕草子231段に「岡は船岡」と記していますが、時代とともに変容していきます。その変容の歴史は後編でご紹介します。