【古墳プロフィール】
名 称:武蔵府中熊野神社古墳(むさしふちゅうくまのじんじゃこふん)
古墳の形:上円下方墳
時 代:7世紀中頃
整備状況:国指定史跡として整備
展示施設:すぐ近くに国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館がある
U R L:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/bunka/bunka/maizo/kumanokohun.html
今回は東京の古墳です。古墳時代の終わりに作られた希少な形の古墳をご紹介しましょう。
古墳は府中市熊野神社本殿の北にあり、2003年に発掘調査された結果、石葺の上円下方墳としては国内最大の上円下方墳であることが判明し、2005年に国史跡に指定されました。
1段目は約32mの方形、2段目は約23mの正方形、
そして3段目は直径約16mの円形が順に重なる、3段築成の古墳です。
石積・石葺の上円下方墳は全国に4基しか見つかっていません。
発掘調査の結果に基づき、1段目の外周は直方体の縁石が巡らされ、2・3段目は全面に河原石を葺いて、1350年前の築造当時の姿に復元されています。2段目の南側に石室への入口があります。
高麗尺と呼ばれる1尺=約35cmの単位で、綿密に設計されており、均整の取れた形をしています。中心軸は真北よりも西へ7度傾き、磁北に近い方角を向いています。
石室は3室からなる切石積横穴式石室ですが、内部にはほとんど遺物は残っていませんでした。しかし、石室の構造と、わずかに残された鞘尻金具、環金具、刀子、釘などの出土品から考えると築造は7世紀中頃、そして、被葬者はこの地域に大きな力を持っていた人物と考えられます。
古墳に隣接された「国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館」。
映像やパネルなどで古墳の特徴や出土品の紹介のほか、
時代背景や近隣古墳などの解説もあります。併設の「石室復元展示室」には
原寸大の石室模型があるのですが、コロナ対策で現在閉室中。残念!
特に、銀象嵌で七曜文(しちようもん)を7ヶ所配した鞘尻金具は、国内外に類例のない非常に珍しいもの。おそらく中国から流入した最新の文化を取り入れたものと考えられます。
復元された鞘尻金具。七曜文は、国産初の貨幣・富本銭(ふほんせん)に見られる文様で、
古代中国の陰陽五行思想に基づいています。
7つの円文は木・火・土・金・水・日(陽)・月(陰)の七曜(星)を表します。
発掘中の石室入口の様子。
大小の切石を積み上げた横穴式石室には、
これまでの多摩地区の古墳には見られなかった高度な土木技術が随所に用いられていました。
7世紀中頃は、墳丘のある古墳が作られなくなる時期であり、武蔵神社古墳が造られたすぐ後には、東山道武蔵路が作られ、武蔵国の国府が置かれました。そんな時代の転換期に、寺院建立などに用いる最新の土木技術を用いて古墳を築いた被葬者はどんな人物だったのか、想像が膨らみますね。
★アケスケ・チェック★
最寄りの南武線西府駅から隣の分倍河原駅一帯は、他に御嶽塚古墳群と高倉古墳群もあるので、古墳散歩が楽しめます。