2020年4月現在、中国と並び55件と世界遺産の登録数が一番多いイタリアから、南部のナポリ近郊にあるポンペイをご紹介します。1997年に文化遺産として登録されたもので、正式名称を「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」といい、ポンペイのほか、近くにある高級保養地も含まれています。
ベスビオ山を背景に建つジュピター神殿
ローマの植民都市であったポンペイが、近郊のベスビオ山の噴火によって街や住民ごと灰に埋もれてしまったのは紀元79年のこと。当時のポンペイは約2万人の人口を抱えた商業都市でした。ブドウが栽培され、ワインを運んだ壺がたくさん発見されていることからワインの産地と考えられています。碁盤目状に石畳の道が敷設された街には、住宅や商店が立ち並び、円形闘技場や野外劇場、神殿、浴場などの公共施設も整備され、活況を呈していました。しかし、火山の噴火、それもゆっくりと流れる溶岩流ではなく、高温の火山灰や軽石などが時速約100kmもの高速で流れ出る火砕流に見舞われたことから、一瞬にして死の街と化したのでした。
半円形となった大劇場。
今も夏にはオペラやコンサートなどで実際に使われています
ジュピター神殿近くにある市場。柱の基部だけが残されています
ただ、この火山の噴火という悲劇のおかげで、後世の私たちが古代ローマの人々の暮らしをありのままに知ることができるのは皮肉としか言いようがありません。街に積もった厚さ5~6mもの火山灰や火山礫などの堆積物が空気を遮断したため、保存状態よく残されたのです。建造物だけでなく、建物に描かれた壁画や落書きの数々、食器や壺などの陶器、炭化したパン、鴨や豚など食材の残骸なども確認されており、古代ローマの人々が身近に感じられるのではないでしょうか。
また痛ましい気持ちになりますが、火山灰に埋もれた遺体が消失した後に残った空洞に石膏を流し込み、市民の最後の姿を再現したものも展示されています。
通りにいつくも設置されていた公共の水場
火砕流のほか、火山性の毒ガスで亡くなった市民の上に火山灰が積もりました
18世紀半ばから始まったポンペイでの発掘作業ですが、現在もなお続いています。昨年には男性2人の遺体が発見され、今年に入ってからも儀式用の馬車がほぼ無傷で発掘されたというニュースが入ってきました。今後も新発見が続く可能性が高く、目が離せない文化遺産です。