明治20年代、日本は本格的な産業革命時代へと進んでいきます。政府の殖産興業策が功を奏し、各地で鉄道や橋梁の敷設、工場や倉庫などに大量の煉瓦が必要になりました。そこで造られたのが「ホフマン窯」と呼ばれる、ドイツ人技師のホフマンが編み出したホフマン式輪窯です。現存するホフマン窯は全国で4基、埼玉県深谷市・滋賀県近江八幡市・京都府舞鶴市、そして栃木県野木町。なかでもこの野木町にあるホフマン窯は正式名・旧下野(しもつけ)煉化製造会社煉瓦窯(通称・野木町煉瓦窯)と言い、往時の構造をほぼ完全な形で留める貴重な近代化遺産です。
ただ煉瓦を焼く装置なのに、見飽きることのない美しいホフマン窯
ホフマン窯は円形や楕円形のドーナツ状の焼成窯が特徴。煉瓦の焼成は次のように行なわれます。野木町煉瓦窯は周囲約100mの正16角形の窯の内部を16室に紙で仕切り、煉瓦の素地を積み上げます。火入れを行ない、天井の投炭孔から入れる燃料を調整することで、火のついた部分を少しずつ時計回りに移動させます。これにより、乾燥・余熱→焼成→冷却のプロセスが絶えることなく続くのです。全室で約22万個の焼成が可能でした。
窯は16室に仕切られている
明治23年(1890)から昭和46年(1971)まで稼働し、昭和54年(1979)に重要文化財に指定、修復工事が終了して、今から5年前の平成28年に現在の姿としてオープンしています。かつてシモレンのホフマン窯と呼ばれていた、20年以上前に訪ねています。当時はホフマン窯はロイヤルホースライディングクラブという乗馬クラブ内にありました。ちょっと崩れかけていたものの、自由に立ち入ることができた長閑な近代化遺産と記憶しています。
現在も隣接してクレイン栃木という乗馬クラブがあります。野木町煉瓦窯としてしっかり修復保存され、隣接する野木ホフマン館では資料展示もしています。なんと100円(取材時の2021年2月時点は中止中)で、ガイド付きの内部見学もできます。近代化遺産も認知されたものだと感慨ひとしおです。
製造当初の煙突の断片。関東大震災で落下したものと思われる。平成23年からの保存修理工事で発見
製造所のマーク「Tホ」の刻印
ここで焼かれた煉瓦がどこで使われていたか。偶然にも、別取材で伺った結城酒造(茨城県結城市)の煙突がそうでした。この煙突、未だ現役でがんばっています。
近代化と言えば赤煉瓦。その陰の立役者に会ってみませんか。
結城酒造の赤煉瓦の煙突