琵琶湖疏水は大阪への水運として利用されていました。鴨川に突き当たると一部は放水路で鴨川に流れ込みますが、大半は直角に南下し鴨川と平行に伏見まで流れます。
夷川ダムこと夷川船溜
大阪への水運といえば、高瀬川が有名ですが、江戸時代の高瀬川は賀茂川の西側を、明治時代の疏水は東側を流れます。水運が高瀬川から疏水に切り替わったことで、高瀬川曳舟人足の失業問題が起こったそうです。
疏水には、蹴上と夷川、伏見墨染の3つの発電所があり、今も稼働しています。その夷川発電所の手前に、通称夷川ダムと呼ばれる広大な面積の夷川船溜があります。西端に、疏水事業を強力に推し進めた第三代京都府知事・北垣国道の銅像がたたずんでいます。
夷川電力発電所
夷川ダムに立つ第三代京都府知事北垣国道像
その夷川ダムのそばに、明治29年から続く「京都踏水会」という水泳学校があります。もともと日本泳法の学校で、立泳ぎを基本としていたので、同じ立泳ぎが中心のシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)に早くから取り組んでおり、多くのオリンピック選手を輩出しています。私が小学生の頃は、当たり前のように申込書が配られていて、京都市内の多くの子供が夏休みにこの学校に通いました。
私もその一人でした。当時の講習は、何とこの夷川ダムに桟橋を張り巡らせて行われていました! 水質の悪化でプールに切り替わりましたが、講習が終わると自由遊泳の時間があり、潜ってドブ貝とかを獲って遊んでいました。今から考えると本当に危険で、すごい数の子供が好き勝手に泳いでいたので、一人くらい溺れて沈んでいてもわからなかったと思います。しかし学校では疏水で泳ぐと藻が絡まって溺れるから、絶対に柵内に立ち入らないようきつく申し付けられていました。疏水は全域遊泳と魚釣り禁止です。
夷川ダムすぐ東にある橋
さて、現在の夷川ダムには多くの種類の水鳥がおります。特に冬は人気の観察ポイントのようです。
夷川ダムに生息している多くの水鳥
また桜の開花に合わせて、十石舟めぐりが人気です。南禅寺船留から夷川ダムを往復します。果たして今年はコロナの影響で開始はどうなるのでしょうか?
慶流橋付近ですれ違う十石舟