新潟港からジェットフォイルで約65分、カーフェリーで約2時間30分の距離にある佐渡島。佐渡と言えば金山、そう宝の山なのです。島内には約50の鉱山があるとされ、なかでも相川鉱山関係遺跡は国の史跡に指定されています。
佐渡金山は慶長6年(1601)年、徳川家康の所領となり、豊富な産金量が以後の江戸幕府の重要な財源になりました。佐渡金山のシンボルといえば山の中央をV字に割ったような道遊(どうゆう)の割戸(われと)。これは、人の手で掘り進められた露天掘りの跡です。しかし今回ご紹介するのは、佐渡金山製錬施設です。
海外ではありません、佐渡の北沢浮遊選鉱場!
佐渡金山の操業は江戸から明治以降、大正・昭和と続き、鉱量枯渇により採掘を中止したのは、なんと平成元年(1989)年でした。明治新政府は、ほかの鉱山に先駆けて佐渡鉱山の官営化を決めます。そしてお雇い外国人技師を招き、近代的な坑道や溶鉱炉(ようこうろ)を建設。その後、皇室財産として宮内庁御料局所管を経て、明治29年(1896)年に三菱に払い下げられました。
昭和になると、戦時体制下の国策により大増産体制が図られ、北沢地区には東洋一と謳われた浮遊選鉱場(ふゆうせんこうば)などの製錬施設が造られました。選鉱場とは鉱石を選り分けるところで、その跡地は相川の奉行所跡の近くにあり、今も見学ができます。
とにかく圧巻のスケール! コンクリートの骨組みだけが残る巨大な施設は、ローマの遺跡を思わせ非日常感が漂います。明治期に建設されたレンガ造りの旧北沢火力発電所もそのまま隣接します。
アップだとこんな感じ
シックナーという水と不純物を分離する装置も1基だけいい感じで残っています。ゴールドラッシュに沸いた、まさに夢の跡。
廃墟感たっぷりのシックナー
鋳造工場跡
周辺の緑に囲まれ、そして冬は雪に覆われる姿は廃墟好きにもたまりません。佐渡金山の坑道跡もいいのですが、断然萌えるのはこちら。あまり小難しいことを考えずに、ただただ、うおおお~という感慨に浸ってください。