レトロな街並みが残る盛岡市街地のぶらぶら歩き。紺屋町界隈の通りをレトロな建物をたどった前編につづく
後編では、盛岡の著名人の旧居や盛岡グルメをお届け!
盛岡の著名人が住んだ家を訪ねて
もりおか啄木・賢治青春館で啄木の人生について興味を持たれた方は、ぜひ盛岡市内に唯一残る啄木が実際に
住ったという「新婚の家」にも訪れてみて。
江戸時代末期建造と推定される木造平屋建ての武家屋敷。ここで祝言を挙げ、新婚生活をスタートさせた啄木...。
と、これだけ聞くとなにやら順風満帆な門出だったように聞こえますが、実情はその真逆でした。1905年5月、
東京にいた啄木は、盛岡尋常中学校時代に知り合った堀合節子と結婚式を挙げるべく、盛岡へ向かいました。が、
郷里へはまっすぐ帰らず、仙台で途中下車。土井晩翠に金策を頼む傍ら、仙台に住む郷友と遊びほうけ、結婚式
当日の5月30日にも盛岡に帰らなかったのだとか。新郎不在で挙げられた祝言。啄木がこの新婚の家に現れたのは
月も変わった6月4日というから、その破天荒ぶりに驚かされます
(写真では純朴そうに見えますが、ほんと見かけによらなすぎ!)。
予定よりも遅れてはじまった啄木と節子の新婚生活。啄木の父母と妹も同居するこの家で暮らしたのは3週間ほど
だったそうですが、いったいどのように生活していたのでしょうか。啄木らの部屋だったという4畳半の和室には、
文机が置かれ、小さな囲炉裏が切られていました。この狭い部屋で何を思い暮らしたのか、想像が膨らみます。
もうひとりの盛岡の著名人は、日本の政党政治の基礎を作った原敬。
今からちょうど100年前、1918年に第19代内閣総理大臣になった人物です。それまでの総理大臣は皆、爵位を
持っていましたが、原敬は爵位を受けることを固辞し続けたため「平民宰相」と呼ばれた、、、という話を
現代史で習ったようなと遠い記憶を手繰り寄せつつ、原敬記念館を訪ねました。
盛岡駅からやや離れた場所にある原敬記念館(記念館は「はらたかし」ではなく、「はらけい」と親しみを
こめて呼ばれています)には、東京駅で暴漢に襲われた際に着ていたスーツ(!)をはじめとした遺品や資料が
展示されているほか、生家も保存されています。
原敬は、祖父が盛岡藩の家老を務めた名家の出。その祖父が嘉永3(1850)年に大改築した250坪もある屋敷で、
安政3(1856)年に生まれました。現在残されている建物は、往時の5分の1のみですが、それでも立派なもの。
玄関を入ってすぐに「隅の間」でさえ、その広さ9畳。その左手にある6畳の応接間は大正時代に増築されたそう。
2面が窓になっており、庭を望む絶好のロケーション。眺めもおもてなしのひとつと言える部屋です。その奥に
祖父の部屋だったという9畳の居間と、6畳の「端ずれの間」が続きます。廊下に出て右手に台所、続いて9畳の
女中部屋、その隣に先の隅の間があり、玄関に戻る、という間取りです。
洋館だと階段の手すりや天井の意匠に萌える私ですが、日本家屋だとそれぞれの家の特徴が出る釘隠に
ときめきます。原家の釘隠は鶴をかたどったおめでたいデザインでした。
盛岡三大麺のひとつ、じゃじゃ麺を味わう
「わんこそば」、「盛岡冷麺」と並ぶ盛岡三大麺のひとつ、「盛岡じゃじゃ麺」。
元祖といわれるお店は、盛岡城址公園のすぐそば、桜山神社の参道沿いにあります。その名も「白龍(パイロン)」。
土曜日の昼下がりに訪ねてみると、お店の前に行列ができていました。さすが、人気のお店。並ぶのが
苦手な私は、周辺を散策してから15時過ぎに再訪。ラッキーなことに、カウンター席がひとつだけ空いて
いたので、並ばずに滑り込むことができました。
白龍の創業者が旧満州で食べた炸醤麺を再現し、盛岡の人々の口に合うようアレンジした盛岡じゃじゃ麺。
オーダして待つこと数分で、つやつやとした平打ち麺の上に、みずみずしいきゅうり、ひき肉・しいたけ
など十数種の材料を混ぜてつくる味噌を載せたじゃじゃ麺が登場。麺と味噌をよく混ぜ合わせていただき
ます。テーブルには酢・ラー油・にんにくが用意されているので、好みで加えるのもおすすめ。もちもち
とした麺と味噌のハーモニーを堪能したところで、少し具材を残し、生卵を割り入れます。ここで店員
さんに一言、「“ちいたんたん”お願いします」と声がけし、器を渡しましょう。しばらくして、ゆで汁と
ネギ、味噌が追加されたスープになって器が戻ってきます。これが“ちいたんたん”、盛岡じゃじゃ麺の
もう一つのお楽しみです。そのままさっぱり味わうもよし、塩・胡椒・ラー油を追加してカスタマイズ
するもよし。盛岡じゃじゃ麺は食べる人の数だけ異なる味が生まれる、このゆるさも魅力かもしれません。
“はじめまして”の味も!盛岡で寿司を味わう
なんの知識もなくお寿司屋さんに入るのは、少々勇気がいります(懐事情もありますし)。
盛岡駅のすぐ近く、駅ビル・フェザン本館の向かい側にある「すし源」は、入り口にメニュー表が
掲げられ、入店へのハードルをぐっと下げてくれます。まだ真新しい店内。先代から店を受け継いだ
若きご主人が、元々あった店を改装してこの3月に再オープンさせたのだそう。1階はカウンター席、
2階にはテーブル席があります。
三陸で水揚げされた新鮮な魚介類を味わえるこちらの店。青森の五所川原の寿司店で食べて以来はまっている
ホヤを迷わず注文しました。一見、マンゴーのようなヴィジュアルのホヤは、爽やかな潮の香りが漂い、食感は
もうぷるっぷる。やはり新鮮なのはおいしい!、日本酒がよく進みます。ホヤに喜ぶ私を見て、変わった素材も
いける人と思ったのでしょうか、ご主人が今日はイルカが入っているんだけど食べてみるかと、提案。
えっ、イルカ?!と一瞬ひるみましたが、聞けば、三陸でもイルカは稀に網にかかるのだとか。沿岸地域では
たまたま網にかかったイルカを食べる習慣があるのだそう。その日、ちょうど入荷したというイルカを、物は
試しということで、ありがたくいただくことにしました。
ごま油をちょっとつけたイルカ肉の刺身は赤黒い見た目に反し、口に入れた瞬間は淡白な味わい。噛みしめて
いくうちに、後味にレバーのような風味が広がります。思いがけない珍味との出合いをじっくり堪能しました。
まだまだ見所盛りだくさんの盛岡。次回は温泉宿へ泊まって郊外も堪能したい、、、
と、帰りの新幹線のなかで次の旅の計画を立てたくなる街でした。
(文・写真 川崎 久子)