今回から数回にわたり、ポルトガㇽの世界遺産をご紹介しようと思います。
現在(2018年5月)、ポルトガルでは文化遺産14件と自然遺産1件の計15件が登録されています。まずは「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」へご案内します。
ボルトガㇽの首都リスボンは、テージョ川に面し、石畳の坂道が多い街。行き交うレトロな風情の市電が印象的です。
リスボンの街を走るレトロな市電。
コルメシオ広場から市電でベレン地区へ
リスボンの中心部から西へ約6km、市電に乗ると約30分でジェロニモス修道院のあるベレン地区に到着します。ここベレン地区はエンリケ航海王子を中心に、15世紀インドへの新航路発見を成しえた海洋国家ポルトガルの栄光が刻まれた場所です。
ポルトガル黄金期を象徴するジェロニモス修道院
なかでも白亜の壮麗な建築物であるジェロニモス修道院が目を惹きます。1502年、国王マヌエル1世がエンリケ航海王子とインド航路発見のヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えて、また危険な航海への安全祈願のため建てさせたもので、東方交易でもたらされた巨万の富をつぎ込み、1世紀の時を経て完成させました。建物の装飾には、アフリカ・アジアの珍しい動植物、珊瑚やロープなど航海に関するものが過剰に用いたマヌエル様式の特徴が見られます。
聖母マリア像を中心に聖人など24人の像が囲む南門
ジェロニモス修道院の東側には聖母マリアを讃える「サンタ・マリア教会」があり、その正門となるのが南門です。スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって造られたもので、マヌエル様式の緻密な装飾が施されています。聖母マリア像と24人の聖人像、その下には修道院の名前にもなっている聖ジェロニモスの生涯が描かれた彫刻があり、さらに門の中央にはエンリケ航海王子の像も見られます。ジェロニモス修道院へは、正門・西門から入ります。門をくぐると右手にサンタ・マリア教会への入口もあります。
まずはジェロニモス修道院から見ていきましょう。
最大の見どころとなるのが、中庭を囲む55メートル四方の回廊です。1階はフランス人建築家ボイタックが、2階はジョアン・デ・カスティーリョが手掛けたものです。外柱やアーチにロープや珊瑚のモチーフが用いられています。
こちらは1階の回廊。
天井にはアーチが幾重にも
重なり、荘厳な雰囲気
ロープや珊瑚など大航海時代を思わせるモチーフが取り入れられている
2階から眺める回廊に囲まれた中庭
次は食堂です。修道士たちが食事を取った場所でした。
壁には18世紀の美しいアズレージョ(装飾タイル)が見られる
西門の上に位置する聖歌隊席からはサンタ・マリア教会を見下ろすことができます。身廊と左右の側廊からなる三廊式の教会で、柱はヤシの木をモチーフにしたといわれています。柱や壁、天井など随所にマヌエル様式の彫刻が見られます。
高い天井を支える柱はヤシの木がモチーフ
聖歌隊席には磔刑のキリスト像もある
ジェロニモス修道院の入場は有料ですが、サンタ・マリア教会へは自由に出入りできます。聖母マリアやマヌエル1世のステンドグラスも飾られています。
聖母マリアやマヌエル1世のステンドグラスも飾られる
またサンタ・マリア教会には、ヴァスコ・ダ・ガマとポルトガル最大の詩人といわれるルイス・デ・カモンイスの棺が安置されています。
こちらはヴァスコ・ダ・ガマの棺。彫刻家コスタ・
モタ・ティオの作品で、19世紀末に安置された
ジェロニモス修道院から歩いて約20分、テージョ川河口に面して世界遺産のもうひとつの登録物件「ベレンの塔」が立ちます。
優美な姿のベレンの塔。この先、テージョ川は大西洋へと注ぐ
1515年、マヌエル1世の命を受けた建築家フランシスコ・デ・アルーダの設計により着工。テージョ川を通る船を監視し、河口を守る要塞の役割を果たしました。船の通関手続きを行う税関や灯台としても使われていました。地上4階、地下2階の6層構造。マヌエル様式を代表する建築物で、司馬遼太郎も著書のなかで、その優美な姿を「テージョ川の公女」と称したそうです。
ベレン地区のもうひとつの見どころに「発見のモニュメント」があります。こちらは世界遺産ではありませんが、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられました。
東面から。左側の先頭がエンリケ航海王子で3番目がヴァスコ・ダ・ガマ
帆船をモチーフにしたもので、テージョ川に向かって先頭に立つエンリケ航海王子をはじめ、大航海時代に活躍した偉人たちが東面と西面に居並びます。ヴァスコ・ダ・ガマやマゼラン、そして日本人に馴染み深いフランシスコ・ザビエルも。
後ろから2番目の膝をついた人物が
フランシスコ・ザビエル。教科書で
見たイメージとは違うような
モニュメントの7階には展望デッキが設置され、テージョ川やその対岸、ジェロニモス修道院全景などを見渡すことができます。
東側にはテージョ川にかかる4月25日橋も見渡せる
展望デッキから北側を見れば、ジェロニモス修道院を一望できる
また、モニュメントの前の広場には世界地図のモザイクも描かれています。ポルトガルが航海の果てに“発見した”国々の横に発見年が書き込まれています。
展望デッキから見下ろした大きな世界地図
しっかりと日本の横にも「1541」の数字を見つけることができます。この1541年というのは、1543年の種子島上陸以前、ポルトガル船が豊後に漂着した年号だそうです。
このようにリスボンのベレン地区は、ポルトガルがヨーロッパの先陣を切って外洋へ漕ぎ出し、華々しい大航海時代の幕開けを告げた記憶を今に伝える場所となっています。
大航海時代と聞けば、壮大なロマンのようなイメージがわいてきます。確かに現在とは比べものにならないくらいの危険を覚悟で、未知の大陸を目指して航海に出るというのは、大冒険ですし、新大陸に到達した人々の達成感や喜びはいかほどのものだったろうかと考えると想像もつきません。しかしその反面、この後ヨーロッパ列強が通商や植民活動のため、アジア、アフリカ、アメリカへと進出し、そして侵略へとつながった歴史を振り返ってみると、大航海時代というのは華々しい栄光だけではないのではないかと思えて、複雑な気持ちにもなります。
ぜひ実際にこれらの世界遺産に足を運んで歴史を体感してみてください。
■ポルトガル・1983年登録/2008年範囲変更・文化遺産
■リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
(Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon)
(文・山本 厚子)