【古墳プロフィール】
名 称:十五郎穴横穴墓群(じゅうごろうあなよこあなぼぐん)
古墳の形:横穴墓
時 代:7世紀前葉〜9世紀前葉
整備状況:一部が県指定史跡として整備
U R L:ひたちなか市埋蔵文化財調査センター(https://hitachinaka-maibun.jp/)
前回ご紹介したひたちなか市の国指定史跡・虎塚古墳の南側、台地縁辺部の凝灰岩の崖には無数の横穴が空いています。これは崖面を掘り込んで築かれた古代の墓=横穴墓で、十五郎穴横穴墓群と呼ばれています。注目すべきはその数で、2007年度から2014年度までの調査では約1kmの範囲に274基もの横穴墓が確認されました。周辺にはさらに多くの横穴墓が埋没していることが推測され、調査結果を元にした算出数は500基以上で東日本最大級となります。
無数の横穴が口を開ける十五郎穴横穴墓群
仇討ちで有名な曽我兄弟(十郎・五郎)がこの穴に隠れ住んでいたため
「十五郎穴」と呼ばれるようになったという言い伝えもあります
横穴墓群は大きく指渋(さしぶ)支群、館出(たてだし)支群、笠谷(かさや)支群の3つの支群に分けられます。調査では様々な形の玄室が確認され、その形態や出土遺物から7世紀前葉〜9世紀前葉まで脈々と造営・利用されていたことがわかりました。初現期の形態を持つ横穴墓は3つの支群それぞれに見られ、どこか一か所から造営が始まったのではなく、異なる玄室の造り方を持つ集団が各々の場所で造営を始めたことが伺えます。
また、館出支群の未開口横穴墓の発掘が行われ、県内2例目の蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれる大刀、正倉院宝物以外では全国初の出土例となる金銅製飾りの付いた刀子、横穴墓内での発見は初となる唐櫃に使用されたと考えられる鉄釘181片などが出土しました。さらには10体分の人骨が検出され、県内の横穴墓出土人骨では初のDNA鑑定も行われました。こんなにも「初」がオンパレードの横穴墓には、一体どんな人物が葬られたのでしょうか。
色々な形の横穴があり、岩を削った跡を見ることもできます
ひたちなか市埋蔵文化財調査センターには出土遺物が展示されています
今はのどかに見える一帯ですが、奈良時代には那珂川・涸沼川水系と太平洋とを繋ぐ交通の要所であったことから、被葬者は蝦夷征伐などの東北政策に伴う水上交通を担う集団や兵士等であり、横穴墓を築くことで往来する人々にその存在をアピールしていたと考えられています。古代の交通網というフィルターを被せると、遺跡の立地に意義が見出せるのは、考古学の楽しみのひとつです。
★古墳日和ポイント★
中根駅まで丘陵部をぐるりと回り込んで戻る道中にはいくつもの横穴墓を遠望でき、十五郎穴横穴墓群のスケールを実感できます。