「和菓子」といえば。子供の頃、祖母が我が家に来る時に手土産にしてくれていました。色とりどりの生菓子を見て、どんな味なのか想像しながら好きなものを選ぶのが楽しかった思い出。そしてしばらくして、自分が誰かへの手土産に和菓子を持って行った時には、とても大人になった気がしました。日本人でありながら、日常では洋菓子より馴染みが薄い和菓子は、歴史を辿れば弥生時代とも縄文時代とも言われています。
そこまで古くはなくても、江戸時代に仕出し屋として創業した「萬年堂本店」は400年を超える老舗の和菓子屋。そして現在13代目を担う樋口喜之さんと私は、有楽町のガード下の某店で10年ほど前に知り合いました。
店の主力商品の蒸し菓子「御目出糖」をはじめ、季節の生菓子を買いに店舗に足を運んだり、撮影をご依頼いただいたりしていたものの、それらがどこで誰に作られているのかを知らずにいたのですが、今回はその禁断の製作現場に初めて潜入させていただいたのです。
「御目出糖」と萬年堂本店の美しい生菓子の数々
浅草橋の工場は下町風情残る住宅街の中の一角にあり、自宅も兼ねるビルの一階。ここで手を動かすのは、なんと13代目ご自身でした。そしてもう一人の職人とお手伝いのパートの方がいらっしゃるのみ。朝6時半から作業を開始して、浅草橋と銀座の店舗を1日に2往復する毎日。
例えば「御目出糖」は繁忙期なら1日に2400個、生菓子ならひとりで400~500個作ると伺って驚きました。年季の入った蒸し器が積まれ、蒸し布が干された小さなスペースに腰掛けて、ひとつひとつ手作りする生菓子。樋口さんの手の中でみるみるうちに形作られ、模様がつけられていく様は正に職人技。普段の粋な銀座の若旦那然とした雰囲気とは、全く違う顔を見せていただきました。
また使用する道具のひとつ「千筋板」と呼ばれる木片は、練り切りなどに流水の模様をつけるものですが、シンプルに見えるこの道具も伝統工芸品のひとつで、なかなか作れる職人がおらず貴重なものだとか。
焼印や千筋板などの道具を使って手作りされる
幼少期から職人達の手仕事を間近で見ていた樋口さんは、大学を出て一度はアパレルメーカーに就職するも、和菓子の世界にポテンシャルを感じて家業を継ぐ決心をしたと言います。先代は経営に徹して和菓子作りは一切しなかったそうで、クリエイティブかつ技術を問われる作業には、やはり向き不向きがあるようです。
季節ごとに新しい菓子を考案したり、近所の新橋演舞場と提携して、売店で演目に応じた手土産を製作販売したり、アイディアを次々と形にして、このコロナ禍も乗り切ったと伺いました。
ひとつひとつ丁寧に作られていく和菓子
八重洲から銀座に店舗を移した後も、銀座内で移転はありましたが、今年2022年9月に7丁目にリニューアルオープン。初めて設ける喫茶スペースで実際に出来立ての和菓子を食べられるとあって、オープン当初から多くのお客様が足を運んでいるようです。
13代目の樋口喜之さん(筆者2015年撮影、移転前の銀座店にて)
手土産からその場で楽しめる和菓子体験へ。現在喫茶スペースで人気があるのは、ここでしか食べられない「煉りたてあん蕨餅」や蒸し立ての「御目出糖」など。銀座に足を運びふと立ち寄って、和菓子とお抹茶でゆっくりとした「大人の時間」を過ごせるに違いありません。
新しい店舗/蒸し立ての「御目出糖」と「煉りたてあん蕨餅」
萬年堂本店
〒104-0061 東京都中央区銀座7-13-21 03-6264-2660
11時~18時 (喫茶 12時~17時)