突然ですが、旅恋きっての歴史好きを自負する私・多田は、当然温泉も古湯好み。温泉発見伝説は湯旅の行き先を決める重要なチェック項目のひとつです。栃木県の那須湯本温泉は、飛鳥時代の舒明天皇の御世に発見されたと伝えられています。那須の地方役人である狩野三郎行広と言う男が、射損じた白鹿を追って山に分け入ったところ、温泉に浸かって矢傷を癒しているのを見つけ、それゆえ湯元は「鹿の湯」と名付けられたといいます。栃木県では最古、日本中でも32番目に古い温泉だということで、歴史好きには申し分無し! ワクワクしながら「鹿の湯」へと向かいました。
独特な入り方は湯長制度の名残
建物は明治時代、玄関は大正時代に建造されたものだそう。令和とは思えぬ佇まいに期待が高まります。
木造りの風情ある建物の「鹿の湯」は温泉街のシンボルであり、その湯力を求めて多くの人が集います。一帯は硫黄の匂いが漂い、その香りだけでも疲れが癒えていくようです。私が訪れたのは月曜日の午後でしたが、絶えず湯客が入れ替わり立ち替わり訪れていました。
鹿の湯といえば、独特な入浴方法でも知られています。それは、
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かぶり湯(入浴前)
ひしゃくにて 大人およそ二百回 子供およそ百回
一.ひさを湯のふちに近づけ頭をさげお湯をはね出さぬよう静かにかぶって下さい。
一.入浴は短熱浴をすると最も効果があります(腰まで一分、胸まで一分、首まで一分)
一.一日の入浴回数最高四回
一.一回の入浴で何度も出入しひしゃくでお湯を体にかけたりすることは逆に害になります
一.入浴後は体を冷やさぬこと
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というもの。いったいどういう謂れでこんな入り方をするのか、湯守の薄井和夫さんにお話を伺いました。
「戦後間も無くまでは、草津の時間湯のように、湯長制度があったんですよ。ここのお湯は熱いし、湯治で来る人も多かったから、のぼせ防止、湯あたり防止のために、湯長に従って入浴をしてもらっていたんです」
古い絵はがきで、その頃の様子を見せてもらいましたが、湯船は一つのみ。大勢の人が湯長の号令に従って入浴している様子が写っています。当時は米や野菜を持って、バスに乗ってやってくる人が多かったとのこと。しかし時代は移りマイカー時代となり、日帰り客が多くなると共に湯長制度は無くなりました。
肩をこわばらせて熱いお湯に入っている様子が伺えます
「観光客が増えてきたら、お酒を飲んで入ったり、登山疲れのまま入ったりして、のぼせる人が多くなっちゃったんですよね。それで入り方を書いて、温度の違う湯船をたくさん作って、というやり方に変えたんです」
常連の人を見分けるのは、MY柄杓を持っているかどうか、だそう。50〜100杯ほどのお湯をかけるにはそれなりの時間がかかります。MY柄杓を持ってきた方が混んでいても「柄杓待ち」せずに済みます。
「ペットボトルの水を湯船に持参して入るのも、ここならではの入り方でしょうね。あとは砂時計ね。受付で貸し出しているから、時間を計って入ってみてください」
浴室で飲食禁止というのは常識ではありますが、ここでは水分補給しながらの入浴がマスト事項。「腰まで1分、胸まで1分、首まで1分」を砂時計で測りながらの短熱浴を繰り返すことで、より温泉の効果が発揮されると言います。
受付で砂時計を借りて、湯温の異なる湯船が並ぶ浴室へ!
奥に見える渡り廊下を渡り、手前(左手)が女湯、奥(右手)が男湯です
脱衣所と浴室の間には壁や戸が無いので、一歩足を踏み入れた途端、硫黄の濃厚な匂いに包まれます。脱衣所の衝立の上に、冒頭に紹介した入り方が書かれた看板が掲げられています。もう一度よく読んで、洗い場へ。洗い場といってもパイプから源泉が流れ出ているだけ。石鹸やシャンプーの使用は禁止ですが、殺菌力の強いお湯なので、問題はありません。
洗い場で体を洗ったら、柄杓を使って首の後ろあたりにお湯をかけます。「頭」と書かれていますが、薄井さんに確認したところ、首の後ろで良いとのこと。シャワーもドライヤーもないので、女性の場合、源泉を髪に掛けるのはちょっと抵抗がありますが、首で良いと聞いてちょっとホッとしました。
女湯の湯船のラインナップは41度、42度、42.5度、44度、46度の5つ(男湯はさらに48度があります)。かけ湯を済ませ、41度の湯船から挑戦。腰、胸、肩と砂時計で測りながら、身を沈めていきます。お湯はキシキシするかと思いきや、想像よりも柔らかく、肌にすんなりと馴染む感じ。順に46度の湯船まで入ってみましたが、体がすでに十分に温まっているせいか、それほど熱くは感じませんでした。ただ、身を沈めた後に一度でも動いてしまうと、急に熱く感じます。昔、草津の時間湯のリポートで、他の人のためにも湯を動かしてはいけないと読んだ覚えがあったのですが、至極納得です。
女湯内観。奥が脱衣所。この4つの湯船のほかに、一段降りたところに広い岩風呂があります。
湯温は42.5度なのでゆっくり入ることができます
温度の違いは、加水や加温しているわけではなく、すべて源泉の注ぎ具合のみで仕上げています。営業終了後、すべての浴槽の湯を抜いて清掃し、その後一晩かけてお湯を溜めます。低い温度の湯船はポタッポタッ程度に、高い温度の湯船にはジャバジャバと源泉を注ぐだけ。これだけで5つもの温度の違いを作り出すなんて、流石です。
「台風19号の後は、源泉温度が15度も下がっちゃって。常連さんには “湯がぬるい”って怒られたけども、まぁ仕方ないよね。天然なんだから」
薄井さんは笑って教えてくれましたが、これこそ温泉が大地の恵みであることの証。そうした自然条件を加味しながら、1時間おきに硫化水素濃度と湯温を計測しながらお湯と湯客を守り、湯温を整えているのです。
こちらは男湯内観。6つの湯船が並ぶ様子は壮観です。温泉は空気に触れる時間が長いほど白濁するので、
低い温度の湯船の方が濁り、高い温度の湯船ほど透明に近い湯の色になります
泉質は硫黄泉(硫化水素型)で、pHは3未満。観光地である那須という土地柄もあり、医療的なことや効能などを高く謳うことはしていないそうです。薄井さんによると、空気や水の中にも温泉成分が混ざっているため、暮らしているだけでも皮膚には良く、反面、歯は弱いのだそう。
「那須湯本に生まれ育っている女の人はシワが無くて、みんな肌が綺麗。だから女の人には向いているかもしれないね。けれど、テレビも電話も冷蔵庫も1年でダメになるよ」
恐るべき温泉パワーです。美肌のために移住するなら、コスト高も覚悟しなければなりません。究極の選択です(笑)。
ところで、熱いのを我慢して入らなければならないようですが、熱いお湯が苦手な方やお子様連れでももちろん入ることができます。私が入浴していた時も、1歳ぐらいの子がママに抱っこされて気持ちよさそうに入浴していました。41度の湯船なら、赤ちゃんや子供でもゆっくり入ることができます。
しきたりに従うことは大切ですが、無理をしないのはもっと大事。ぜひ、ご自分の体調に合わせて、1300年続く名湯を楽しんでみてくださいね。
那須温泉「鹿の湯」
住 所:栃木県那須郡那須町大字湯本181
電 話:0287-76-3098
営業時間:8時〜18時(最終受付17時30分)
料 金:大人 500円、子供(小学生) 300円、幼児 無料
アクセス:バス停那須湯本温泉下車 徒歩2分
U R L:http://www.shikanoyu.jp/
(取材・文/多田みのり)